過去現在未来のメモリーノート 10 道德・モラルについて
財務省の事務次官が「セクハラの疑い」で辞任した。これが事実かどうかは、今も本人は認めていないので、終結していない。
しかも勤務時間外に、どういう店かボクは入ったことないのでわからないが、健全なお店とは言えないような気もする。
ただ、この人の人格としては「記憶にない」というのは、どうなのか。
(1) この手の店にいったことはありません。
(2) この手の店にいった記憶は今はありません。
(3) この手の店にいった記憶は、たくさんありすぎて、いつの話かまったくわかりません
それで今日の話は「道德」、以下、ちょうど図書館で借りてきた本から引用します。
☆
「われわれには常識的に良心とよばれているところの精神活動があって、さまざまな機会に心の中で「かくせよ」「かくすべからず」と命令してくるのを経験している。心の中から出てくる命令であるから、現実の世界とはまったく別のところから由来するようにも思われるし、現に哲学者たちはこれを経験を超えた「価値の世界」から出てくるものだなどと説明している。
このような心の中から自分自身になされる命令を規範とよぶのであるが、先験的だとか襪世界だとかいう観念論的解釈はすこしも必要ではない。これは認識の受けとる1つの社会的性格であり、われわれが社会的な関係で規定されながらもさらに社会的な関係を発展させるためにつくり出す、意思の特殊な形態である。
規範にはさまざまな形態があるが、誰でも毎日のようにつくり出している約束と称するものもその1つである。」
≪ 三浦つとむ『三浦つとむ選集 ③ 言語過程説の展開』頸草書房、1983年、「第3章 規範の諸形態、1 意思の観念的な対象化」、p149 ≫
「道德のほうは法律と現象形態が異っている。われわれの目にうつるのは、道德に従って行われる行動だけである。道德は生活の中で自然成長的につくり出され個人の頭の中に存在するにはちがいないのだが、この存在を外部から直接に見ることはできない。
ある人間がどんな道德を身につけているかは、その行動から背後にあるものへと推察していかなければならない。この現象形態のちがいが、理論的なふみはずしの原因となる。
法律を論じる学者は条文を法律とよんでそれに従う行動は法律と区別するにもかかわらず、道德を論じる学者は規範だけでなく行動をも道德のうちに押し込んでしまうのである。」
≪ 三浦つとむ『三浦つとむ選集 ③ 言語過程説の展開』頸草書房、1983年、「第3章 規範の諸形態、3 自然成長的な規範」、p175 ≫
☆
まだ展開は必要ですね。道德には「成文の目に見える道德」と「心のなかの目に見えない同等」がありそうです。
ではこの事務次官さんの「道德」は、どうなっているのでしょうか。
それと新潟県知事さんの道德は?去年、感じたのは、この新潟県知事さんは、職務上じゃなくてネットで他人を非難してすこし変だなあと思いました。
あ、財務省事務次官さんも職務上行ったことではないですね。