過去現在未来のメモリーノート 11 「超感性的」とはなにか
『資本論 第1巻』の「第1篇 商品と貨幣、第1章 商品、第4節 商品の物神的性格とその秘密」に「超感性的」は出てくる。
まず、p121
「たとえば木材でテーブルが作られれば、木材の形態は変えられる。にもかかわらず、テーブルは相変わらず木材であり、ありふれた感性的な物である。
ところが、テーブルが商品として登場するやいなや、それは感性的でありながら超感性的な物に転化する。」
それからp123
「この“取り違え”によって、労働生産物は商品に、すなわち感性的でありながら超感性的な物、社会的な物」に、なる。」
ボクが発見したのは、この2個所です。「超感性的な物、社会的な物」という概念は、目に見える感性的な物とは違って、「目では見えない」という意味でしょう。
ところが人間たちにとって商品が価値をもち、値段をもつのは社会的常識です。
つまり、これが「超感性的な物、社会的な物」です。
超感性的、という言葉はカントの哲学的概念のようです。またカントはあとで読むつもりなので何かわかったらアナウンスします。
この超感性的、ということは、人類誕生にもかかわる大事な概念ではないでしょうか。有名な「土台ー上部構造論」は一部で誤解されていると思います。
「土台ー上部構造」は人類史の始まりからずっと継続しているのに、階級社会の誕生で変容したために、それがわからなくされた。
いまNHKでやっている「人類」のなかで「心の誕生」に触れている。「心の誕生」によって、人間は「言葉」「概念」「空想」「妄想」「宗教」を創り出した。
そのなかで「感性性」をもたないのが「超感性的」なものである。
商品は「感性性」と「超感性性」と両面をもつ。
そういうことではないかと、推定する。
ややこしい問題もあるので、だいぶ略した。機会があれば詳述したい。