雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

音楽の森 1 ショパンさん「ピアノ協奏曲第1番」(再論)

2011年02月19日 23時11分32秒 | 本と映像の森
音楽の森 1 ショパンさん「ピアノ協奏曲第1番」(再論)

 「本と映像の森」コーナーでするか迷いましたが、煩雑になるので、別コーナーにしました。

 昨年5月10日の「雨宮日記」を再録します

 「雨宮日記 5月10日(月) ショパンさんピアノ協奏曲再論

 「雨宮日記 4月23日(金)」「ショパン(ゼロ才)の洗礼の日」でこう書きました。
 
 「今大好きなのは、ショパンさんのピアノ協奏曲1番・2番と、ラフマニノフさんのピアノ協奏曲2番・3番なのですが、ラフマニノフさんのピアノとオケのからみあった緊密な構成の曲を聴くと(からみあいすぎて時々、ピアノの旋律が聞き取れません)、ショパンさんのピアノ協奏曲は、すごく好きなのですが、オーケストラがバックで伴奏するピアノソナタという感じがします」と。

 さっき「審美眼要請日誌」さんのホームページにアクセスしたら、以下の文章がありました。
 
 「ショパンのピアノ協奏曲が「ピアニストの、ピアニストによる、ピアニストのための協奏曲」だということは確かだと思う。第1番も第2番も、ピアノ・パートの入念な書かれ方に対して、オーケストラ・パートは響きが単調で、意外なほど繊細さがない。明らかに、常に音楽をひっぱっていくのはピアノで、オーケストラは添え物としての役割しかもらっていない。作曲された動機が、20歳そこそこだったショパンがピアニストとしての自分を売り込むための自作自演用、ということも一因なのかもしれない。でも、同じくピアニスト兼作曲家だったラフマニノフも、バルトークも、もうちょっと丁寧にオーケストラ・パートを書いてるんだけどなぁ」と。

 やっぱり!誰が聞いてもそうなんだ、と思って、雨宮は自分の感性にすこし自信がつきました。
 
 5年に1回ワルシャワで「国際ショパンコンクール」がおこなわれます。
 いま『週刊モーニング』で隔週連載しているマンガ「ピアノの森」が、2人の主人公の少年、一ノ瀬海(かい)と雨宮修平が、最終予選に挑んでいます。
 この第3次予選に通ると、いよいよ、ショパンのピアノ協奏曲を演奏するラストの本選です。

 修平は、1番?2番?海は、1番?2番?どっちを演奏するのか、楽しみです。」

 いま2011年の2月になりましたが、ラスト本選に入ったところで中断しています。雨宮修平は落ちましたが、悟って幸せになりました。

 いまいろんなCD音源をソニー「ウォークマン」に録音して持ち歩いて聞いていますが、いちばん聞くのはショパンさんのピアノ協奏曲第1番です。

本と映像の森 137 山口優さん『シンギュラリティ・コンクェスト』徳間文庫

2011年02月19日 22時35分22秒 | 本と映像の森
本と映像の森 137 山口優さん『シンギュラリティ・コンクェスト ー女神の誓約(ちかひ)ー』徳間文庫、2010年11月15日初刷、565ページ、定価838円+消費税

 2030年代、宇宙の全天が紫に変貌した現象に、人類は衛星軌道上に、いくつかの人工知能基地をつくり、事態の対処を計算しようとする。

 西暦2048年8月5日、軌道上の宇宙基地<エデン>に、戦闘機が突入し、すごい戦闘能力の少女が基地に乗り込んできます…。

 人類史発展のある点で起きることが予測されている、人類と機械(マシン・コンピューター)の融合一体化現象<シンギュラリティ>にどう対応するか!で、世界の科学者達は、見掛け人類となんら見分けのつかないロボット(つまり「ヒューマノイド」)をつくる派と、巨大な計算コンピューターをつくる派に別れます。

 少女ヒューマノイド「天夢(あむ)」と、巨大コンピューター「メサイア(救世主)」との格闘の物語であり、それをつくった科学者達の格闘の物語です。

 ファンタジーとしても傑作です。

 人間の精神・心が、人間の、このほ乳類的・類人猿的肉体に依存していることを赤裸々らに証明していると思います。

 それゆえに、そういう肉体から離れた精神(純粋脳=メサイア)の危なさを、恐怖とともに表現している小説です。

 「鉄腕アトム」は、やはりロボット的・鉄的肉体をしているからこそ「アトム」なんですよね。
 もしアトムが、人間に見える肉体と人間の皮膚を模倣してつくられたら?
 それが、この物語です。

 「肉体に依存する精神」のことは、たとえば今年冒頭のテレビドラマ「スペック」の小説化の第3巻で、事態を決する決め手として語られていたと思います。

 「がんばれ!当麻紗綾!」
 「がんばれ!天夢!」

 写真は紫ではないけど、青い地球の正常な空です。
 

本と映像の森 136(特別編) 小説や理論は普遍性と特殊性と個別性を学ぶ場

2011年02月19日 22時24分51秒 | 本と映像の森
本と映像の森 136(特別編) 小説や理論は普遍性と特殊性と個別性を学ぶ場

 私たちは、本や映像(映画・テレビ)や音楽・朗読から何を学ぶのでしょうか。
 
 もちろん「普遍性と特殊性と個別性」の関係は、哲学や理論や科学でもきちんとした理論や科学(そう多くはないと思います)では学ぶことができますが、それをより具体的に、自らのものにしていく過程を含めて学ぶことができるのが、小説や映像であると思います。

 私たちは、小説など個別の具体的シチュエーションと具体的行動を読み学ぶことで、たとえば人間の本質がどのように個別の場で発現するか、あるいは発現しないか、発現するとしたらどうリアルに曲がってあるいは薄まって発現するかを学ぶことができます。

 つまり、存在あるいは実存には、必ずしも本質は反映・あるいは発現しないのです。
 発現しないとも言えるし、発現するとも言えます。

 そこに小説や映像や哲学を学ぶ普遍的な、あるいは個々にとっての個別的な意味があるのではないでしょうか。

 <1時間くらいあとで追記>

 つまり、ふつうは哲学や科学で、どんな法則やどんな真理があるかを学ぶのですが、リアルな、あるべき哲学や、これからの科学では、どんな法則やどんな心理が、どういうときに発現し、どういう条件で結果が出るか、あるいは出ないかを学ぶことが大事ではないでしょうか。


 

雨宮日記 2月18日(金) 日本の菅さんの民主党政権が揺らいでます 

2011年02月19日 20時44分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月18日(金) 日本の菅さんの民主党政権が揺らいでます

 小沢一郎さんの処遇をめぐって民主党政権が揺らいでいます。

 共同通信の世論調査では、菅さんの支持率が19%に低迷しています。
 1ヶ月前より12.3%も下がったようです。
 
 智彦「ムバラクさんみたいに30年続くのと、日本みたいに1年で代わっていくのと、どっちがいい?」
 則子さん「中間で10年くらいで代わるのがいいんじゃない?」
 智彦「アメリカ大統領は2期8年、中国国家主席は2期10年だね」

 
 
 

雨宮日記 2月17日(木) すこし腰の使いすぎ…

2011年02月19日 06時06分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月17日(木) すこし腰の使いすぎ…

 ここ何日か、持病の腰痛がまたぶりかえしてきたので、できるだけ机に向かって椅子に座って、パソコンを打つ作業は最小限にしたいと思います。
 
 今、2階の自分の部屋(自称「雨宮ルーム」)で、椅子に座って、腰を折り曲げて、パソコンの画面を見ながら、これを書いています。

 腰が痛いのは、里山の作業をつい無理してしまって、こうなります。

 


本と映像の森 135 北森鴻さん『うさぎ幻化行』東京創元社

2011年02月18日 05時56分28秒 | 本と映像の森
本と映像の森 135 北森鴻さん『うさぎ幻化行』東京創元社、2010年2月25日初版~4月15日3版、296ページ、定価1900円+消費税

 浜松中央図書館で、たぶん「ウサギ年」コーナーで展示していて、「あ!北森さんの本だ」と、予約を申し込んで、やっと昨日、図書館で借りた本です。

 推理小説家、北森鴻さんの著書では、「民俗学者・蓮丈那智」さんシリーズと、お店を持たない骨董屋「冬の狐」こと「宇佐見陶子」さんシリーズが大好きです。

 もともとは、次女のIさんがなぜか気に入っていて買っていたので、ぼくは、それを借りて読んだだけです。

 「うさぎ幻化行」では、義兄に「うさぎ」と呼ばれた女性が主人公で、冒頭は、その義兄が、「日航ジャンボ機墜落事件」のような旅客機墜落事件で遺体が発見されるところから始まります。

 義兄は、音響技術者で、義兄が残した録音の謎を解きたくて、主人公の女性「リツ子」は行動を始めます。

 北森鴻さんの小説の魅力は、やはりすべての登場人物が、生き生きと生きていることでしょうか。

 主人公のリツ子さんも、録音された音に絡んでいるそれぞれの土地の人たちも、ナオも、女優エリカも。

 この推理小説の焦点は、やはり「音」です。

 音の聞こえ方、音の発信源、などをめぐって駆け引きと謎解きが、すてきです。

 ぼくが一番好きなのは、巨漢の鉄道マニアで鉄道雑誌ライターの「岩崎鈴音(すずね)」です。

 名前からして「鈴音(すずね)」という鈴の音です。

 岩崎鈴音さんが、仲をとりもって、媒介して、はじめてこの事件の主要な2人の人間が会うことができたわけです。

 いい作品ですが、いまいち、布石を展開していない気もします。

 なお、北森鴻さんは、昨年平成22年1月25日に心不全で亡くなりました。

 もっとたくさんの作品を読みたかったです。

 

 

本と映像の森 134 2月13日(日)TBSテレビ「世界遺産 インカ①」

2011年02月18日 05時24分30秒 | 本と映像の森
本と映像の森 134 2月13日(日)TBSテレビ「世界遺産 インカ①」

 日曜日の夜、疲れたので少しコタツで暖まろうと、テレビとこたつのある居間へ行って、なんとなくテレビをつけたら、ちょうどTBSテレビで「世界遺産」の「インカのすべて 1」をやっていました。

 「15世紀の南米大陸。わずか50年で南北4千キロに広がる巨大帝国を築いた国」
 それがインカ帝国です。

 番組はペルーの海岸で発見されたアメリ大陸最古の約5000年前のピラミッド遺跡、カラル遺跡など報告していました。

 文字はなくて、縄で情報を伝えた文明という話が印象的でした。

 番組を見ながら感じたのは、日本の縄文文化との共通性です。
 縄文文化も縄の文明ですよね。

 そのルーツから言ってもアメリカ大陸の住民は、アジアから移住していったのですから、そこに共通性があっても何の不思議もありません。

 ここまで書いて、あれ、むかし、こんな話を書いたような、と思い出しました。

 で、探してみたら、ありました。 

 天宮「遠江と日本 古代史の森」の「古代史日記」に以下のように書きました。

 「2005年6月2日(木) テレビ番組「世界遺産・マチュピチュ」

 アンデスの山の中、高い峰の山頂の「空中都市」マチュピチュ。

 NHKテレビで午後8時からやっていた番組で、居間にある共用のデスクトップパソコンで印刷をしていたら、なぜか、娘がマチュピチュには興味があるらしく、この番組を見ていまるのを僕も見せてもらいました。

 インカ皇帝がつくった「太陽信仰の聖地」という新発見が語られていました。そして、太陽信仰とともに「石への信仰」も、インカ帝国では明白なようです。

 ここまで見たら、僕としては、古代日本の天照大神に代表される太陽信仰と、縄文時代からの石への信仰と、同じじゃないかと感じました。こういうことについて、どういう研究があるのか、調べてみたいと思いました。
 (6/3up)」

 2月20日の夜は「インカ 2」で「マチュピチュ」の特集のようです。
 期待して見たいと思います。

遠州の遺跡・寺社 49 伊場木簡の「若倭部」

2011年02月18日 05時16分53秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 49 伊場木簡の「若倭部」

 浜松市東伊場の弥生から律令にいたる複合遺跡「伊場遺跡」で出土した「伊場木簡」の中に、「若倭部」の名前が現れています。

 伊場木簡では、若倭部の姓をもつ人名は24例に達し、宗宣部(そがべ)・語部(かたりべ)のそれぞれ10例を倍以上上回っています。
 (『静岡県史 通史編1 原始・古代』静岡県、p469)

 その中に「已亥年五月十九日渕評竹田里若倭部連老末呂」と書かれた木簡があります。

 「已亥年」とは699年(文武三年)であり、「渕評」とは、伊場遺跡にあった「評役所」と推定されています。

 つまり、古代の「若倭部」は、浜松市の伊場遺跡付近と、浜北市の宮口から浜松市の有玉にかけてと二カ所に拠点を持っていたか、それとも伊場遺跡付近から浜北市宮口付近まで広い範囲に分布していたかということになります。

 「若倭部」は、『万葉集』という古代文献と、伊場木簡という古代の直接文字史料と、神社名という現代に残る資料と、3つの系統で確認されていることになるのです。

 (2005年1月17日「遠江と古代史の森」にupを再録)

 写真は、宮口の若倭神社の現在の姿です。

遠州の遺跡・寺社 48 万葉集「麁玉郡若倭部身麿」の歌と若倭神社

2011年02月17日 11時44分58秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 48 万葉集「麁玉郡若倭部身麿」の歌と若倭神社

 「万葉集」の中には、いまの静岡県西部、当時の「遠江」で読まれた歌が「東歌」として掲載されています。

 「巻第二十」に、「天平勝宝七歳乙未の二月に、相替りて筑紫に遣わされた諸国の防人等の歌」があり、「4321」から7首、遠江の歌が載っています。

 「4322」番が「主帳丁麁玉郡若倭部身麿」による次の歌です。

 「わが妻はいたく恋らし 飲む水に影さえ見えて 世に忘られず」。
 
 原文の万葉仮名は、歌碑の写真を参照してください。

 文字は犬養毅さんの揮毫(きごう)です。

 意味は、「わたしの妻は かなり私を恋しているらしい 私の飲む水に 妻の面影さえ見えて どうしても 忘れることができない」

 現代的に考えると、かなり屈折した表現ですが、この古代兵士、性は「若倭部」、名は「身麿」の、遠く筑紫、つまり九州へ送られるときに、故郷に残してきた妻への、切々とした思いが伝わってきます。
 
 「麁玉郡」は「あらたまぐん」と読みます。古代の遠江の地名で、浜松市では、「有玉郡」または「有玉神社」として残っています。

 「若倭部身麿」は、解説書に従っていまのことろ「わかやまとべむまろ」と発音しておきます。

 この「若倭部」の名前が付いた神社が浜北市にはあります。宮口の庚申寺の西に、現在は「八幡神社」という名前ですが、明治維新までは「若倭部神社」でした。

 場所は

 (以上天宮智彦HP「遠江と日本 古代史の森」「遠江の若倭部」2005年2月2日、より再録)

 『万葉集』の歌の作者が生きていた地域に、その作者の氏を冠した神社があるわけです。

 では、若倭部身麿は、どこに住んでいたか、ですが彼が妻とこの宮口、つまり若倭神社の付近に住んでいたのでしょうか。
 次回に書きたいと思います。

雨宮日記 2月16日(水) 則子さんの「命」で今日もいろいろ、しました

2011年02月17日 05時52分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月16日(水) 則子さんの「命」で今日もいろいろ、しました

 ぼくは則子さんと一緒に生きています。
 今日も、則子さんの指令がありました。

 自衛官人権裁判の「傍聴おねがいハガキ」の追加、50枚をプリンターで印刷しました。

 自衛官人権裁判のニュース「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」を、自分の会社の事務所で印刷しました。

 ぼく、雨宮智彦は、毎日、則子さんの「命」「指示」があって、則子さんと話し合って、すごく幸福ですが、そういう絆のない男性は、寂しいでしょうね。

 
 

雨宮日記 2月15日(火) 今日は釈迦さんの命日の涅槃会です

2011年02月16日 06時03分44秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月15日(火) 今日は釈迦さんの命日の涅槃会(ねはんえ)です

 今日は、仏教徒の皆さんには大事な日です。
  
 ぼくは仏教徒ではなくて、無神論者でもなくて、「自然信仰」主義者ですので、お間違えなきように、お願いします。

 「涅槃図(ねはんず)」はお釈迦さまが亡くなった光景を描いた図です。

 いろんな動物たちが描かれているのですが、ネコだけは、そのときに居なかったので描かれないという話があります。
 
 ところが、猫が描いてる涅槃図もあるようです。
 おもしろいですね。
 
 尊敬する歴史学者の加藤文三さんの著書『民謡歳時記 ーくらしの文化史ー 上巻』(青木書店、1980年)で、以下のように書いています。

 「陰暦の二月十五日は、今の春の彼岸に近い頃で、季節の変わり目であった。この日は必ず雪が降り、しかも雪の降りじまいだというので、これを涅槃雪とよぶ。
 また、このころは、いかにもやわらかな風が吹くというので、涅槃西風(ねはんにし)という。
 つまり、陰暦の二月十五日は、二月(きさらぎ)の望の日で、自然の暦の上でも重要だし、一年の農事のとりかかりの祭日であった。
 それを釈迦の命日だから御馳走をするのだと思い込んでいるのである。」


 


雨宮日記 2月14日(月) 聖バレンタインさんの殉職と女神ジュノーさんの日

2011年02月15日 05時05分45秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月14日(月) 聖バレンタインさんの殉職と女神ジュノーさんの日

 今日は2月14日です。
 午後5時で勤務は終わるはずの則子さんですが、すぐには帰ってこないだろうと、夕方、まずお汁をつくって、自分の好きな油っぽい野菜炒めをつくり、父の好きな豆腐を暖めて、待ちましたが、帰ってこないので、午後6時前から父と2人で夕食にしちゃいました。
 娘2人も帰って来ません。

 午後6時半頃、やっと則子さんが帰って来たので、昨日「印刷して」と言われたハガキ250枚を渡しました。
 
 「しゃれた喫茶店が見つかったから、コーヒーを飲みにいこうよ」と則子さんと行きました。
 なにしろ、バレンタインですから。

 バレンタインさんは、紀元269年、つまり日本が邪馬台国の卑弥呼の時代に、ローマ帝国に生きていたキリスト教の司祭さんです。

 ローマ帝国皇帝クラウディウス2世さんは、兵隊が結婚すると士気が下がって軍隊が弱くなるので、兵隊の結婚を禁止しました。

 ところが、司祭のバレンタインさんは、兵隊たちの結婚を祝福したので、捕らえられ、処刑されたということです。

 この処刑された日が2月14日なのは、わざわざローマ帝国での結婚と家庭の女神ジュノーさん(ユノさん)の日を選んで処刑したということのようです。

 写真は、その喫茶店で2人が注文した「冬のカプチーノ(600円)」。
 おいしかったです。

 喫茶店は、また「あるはま」で紹介したいと思います。

 

 

雨宮日記 2月13日(日) 雨も雪も「動的平衡」で見かけは同じ位置で

2011年02月14日 17時01分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月13日(日) 雨も雪も「動的平衡」で見かけは同じ位置で

 今日も西日本や日本海側は雪です。

 福岡伸一さんの『動的平衡』がすごく良い本ですが、気象情報で雨雪判別を見ていたら、雲は西から東へ進んでいるのに、浜松の北側で雨から雪へ変わる線はまったく同じ位置でした。

 ぼくたちは同じ雲から雨雪が降ってくると思っていても、天の上は、激しく変動しているんですね。

 写真は、前日の昼間の月です。
 月齢は9.0で、半月を少し超したところです。
 雲を超せば、今日も同じような月が照っているのですが。

雨宮日記 2月12日(土) ついに30年続いたムバラク体制の崩壊か

2011年02月13日 20時10分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月12日(土) ついに30年続いたムバラク体制の崩壊か

 チュニジアの「民衆革命」に続いて、ついにエジプトでもムバラク体制の終末が迫ってきましたね。

 イスラム世界も「進歩する」「変革する」ということが目の前で進行していくのは、すごく心地よいですね。

 いままで、変わらないイスラム世界の擁護をして、「イスラム世界だって、いいんだよ」と無理に弁護していたような気がします。

 すごくスッキリしました!
 ずっと溜まっていた便秘がスッキリしたようなすがすがしい気分!

 ムバラクさん「おれは便かよ!」
 ぼく「はい、そうです。かなり腐敗して臭かったですね」

 イスラムだろうと、欧米だろうと、アジアだろうと、日本だろうと、全部同じだよと、いう感じを強調したいですね。

 ところで、ぼくの周りにもいろんな組織・団体がありますが「30年」以上、役員や責任者をやっている方は、やはり、ムバラクにならないように辞任するかどうかの考察を始めた方がいいと思いますが。

 「いや、私は、ムバラクと違って、いいことをしているんだから」と言うかな?

 30年ですか…。
 何日か前に、「結婚して32年」って書いたんですね。
 雨宮夫妻もマンネリで…辞任した方がいいのかな?

 いいえ、そんなことはないです。
 だって、ぼくと則子さまは、途中で何回も全面更新していますから。
 え…その基準は何でしょうか?

 日本のことわざ「他人の振り見てわが振り直せ」ですね。
 まじめに、考察します。

 

日本古代史 11 桃は「邪馬台国」の「卑弥呼」の「道教」の専用物?

2011年02月12日 05時36分09秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物
日本古代史 11 桃は「邪馬台国」の「卑弥呼」の「道教」の専用物?

 1月27日の「本と映像の森 127 1月23日、NHKテレビ「〝邪馬台国〟を掘る」」を書きました。

 あの番組の中で、桃が巻向遺跡から出土したから、これは道教の呪物で(それはそうなのですが)、卑弥呼の宮殿の所在地に間違いない、みたいな報道でした。

 それは、違うと思います。

 古代世界で「桃」の呪力が普遍的であるから、それを道教も取り入れたのであって、桃だから道教というのは、普遍ー特殊ー個別という、カテゴリーを誤解しているか、理解できない浅い精神ではないでしょうか。

 道教でも何でもない、日本の『古事記』では、イザナギ神さんが、妻のイザナミ神さんが死んで行った黄泉(よみ)の国を訪ねる話で、出てきます。

 死んで腐敗していく妻の姿(かな?)を見てしまったイザナギ神さんは、怖くなって黄泉から必死で逃げようとします。

 イザナミ神さんは(当然ですが)怒って、黄泉の国の軍隊をくりだして、イザナギ神さんを追わせます。

 黄泉の国(つまり死者の国)と現世との境の「よもつひらさか」で、イザナギさんは、そこに生えていた桃の実をとって、黄泉の国の軍隊に投げつけて、危地を脱して、逃げ切ることができました。

 桃=道教=卑弥呼、という、それ以外の等式は認めないのは、無理矢理な話です。