雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 11月20日(日) 忘れてました則子さんの誕生日…

2011年11月21日 05時40分50秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月20日(日) 忘れてました則子さんの誕生日…

 何も予定を入れず,のんびりした日曜日です。則子さんは、図書館で借りた物理学者の伝記(岩波新書)をノートをとりながら読んでいます。すごい!感心します。自分の家族が勉強しているのを見るって、うれしいです。自分が賢くなるわけではないですけど。

 というのは、パソコンをあまり使わない時代は、ぼくも読みながらノートを取ったし、今でも図書館の郷土資料室にこもるときにはノートを持って行きますが、今は自分はパソコンの一太郎ワープロで書いていくのがほとんどですから。

 夜、次女のIさんが「お母さん(則子さんのこと)の誕生日、祝い忘れてたから、ケーキ買うんだけど、いつものチョコでいい?」と言うので、びっくりして「あ!ぼくも忘れてた、それでいいよ」と。

 11月14日は過ぎていますが、3人でケーキを食べ、コーヒーを飲みました。

 ぼく「則子さんと2年3ヶ月差があるけど、いつまで経っても、この差が縮まらないんだよね」
 Iさんがバカじゃないの?といううろんな眼でぼくを見ました。
 ぼく「でも、どっちかが命が止まると、差は縮まるか、開くか、どっちかなんだよね」
 Iさん「どっちがいいの?」
 ぼく「やっぱり、一緒に命が止まれば、永遠に2年3ヶ月差だよね。それがいいな」
 Iさん「それ、無理でしょ」
 ぼく「無理は承知なんだけどね…」
 
 あきれたような眼で、父と娘の会話を聞いている則子さんでした。

 まあ、とにかく30数年の「同行」ありがとうございます。

 考えてみたら、誕生日祝いは「新婚旅行から30数年ぶりの宿泊付きの2人旅」のプレゼントで果たしていると思います。

 明日は、則子さんはIさんと二人で「天浜線(天竜浜名湖鉄道)」を旅するそうです。

 
 

本と映像の森 178 鳥飼杏宇さん著『樹霊』東京創元社

2011年11月19日 20時40分18秒 | 本と映像の森
本と映像の森 178 鳥飼杏宇さん著『樹霊』東京創元社、2006年8月31日初版、258ページ、定価1500円+消費税、【浜松市立中央図書館蔵書】

 北海道日高地方の「古冠(ふるかっぷ)村」を舞台に、アイヌの土地を開発しようとする人々と反対する人々が対立し合っている。

 若い女性写真家猫田夏美は、巨樹撮影のためその古冠村にまぎれこんで、事件に立ち会うことになる…。

 「木が動く」のはなぜ?何の目的で誰が?そこに起き始める行方不明や殺人事件に翻弄される猫田と古冠職員の若い男性の鬼木…。

 ちなみに「深夜、ぼーぼーと鳴く大木」、いいですね。

 もちろん木が鳴くわけはないので…。鳴くのは北海道の○○○○○○です。

 テーマは、物語の展開していく見かけのテーマ「アイヌの所有か倭人の所有」か、であるように見えますが、そうではなくて、「所有とは何か」という根源的なテーマに迫りかけているように思いました。

 <観察者>探偵・生物学者の鳶山シリーズだそうです。他のも読みたくなりました。

日本古代史の本 佐々木高明『日本文化の基層を探る』

2011年11月19日 14時37分46秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物
日本古代史の本 佐々木高明さん著『日本文化の基層を探る ーナラ林文化と照葉樹林文化ー』NHKブックス、日本放送出版協会、1993年10月30日第1刷~2004年2月10日第10刷、253ページ、定価970円+消費税

 佐々木さんの提唱する文化=社会系統論の特徴は、東日本のナラ林に特徴的な縄文文化と稲作農耕文化のあいだに、もう一つ照葉樹林文化がもたらした焼き畑農耕とその文化を重要視していることです。

 サトイモや雑穀栽培、味噌・納豆など大豆の加工食品、漆、などなどです。

 もう一つ、この本の特徴は、「5 海人と王権 ーその文化の系譜」(p159~192)で、日本列島の海人たちについて、3つ(4つ?)の系統を区別していることです。

 一つは、宮本常一さんが「南島系」と規定する、オオヤマヅミ神を祭る海人たちです。この海人たちは海に潜るのは男性だけです。南島から日本の海岸線をたどってきたようで「瀬戸内へまっすぐ入ってこずに、本州南岸を黒潮にのって志摩から伊豆の三宅島、伊豆の三島と展開し、瀬戸内へは鴨氏と結びついて摂津から入るという入り方をしている」としています。

 二つ目は江南系の一つ目の流れで、「安曇(あずみ)氏」です。ワタツミの神を信仰して、瀬戸内海から更に東へ、愛知県では「渥美半島」に名を残し、海から上陸して長野県では「安曇野」に定住しています。

 三つ目の、江南系のもう一つの流れが、ムナカタ氏で、ムナカタ氏の女性・尼子娘(あまこのいらつめさん)が天武天皇さんの后になり、高市皇子さんを生みました。彼女は胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)さんの娘です。

 さて、そうするとたとえば、わが浜松市の縄文時代の蜆塚遺跡を残した海人や、同じ縄文時代の日本海岸の能登半島の真脇遺跡の「日本漁業発祥の地」ともされる海人(うみびと)たちは、どこから来たのでしょうか?あるいはその文化のルーツは?

 それはともかくとして、この本は鵜呑みにしないで、細かく検討しながら租借してじっくり研究する価値のある本です。

雨宮日記 11月19日(土)早朝 今日は大雨の想定です

2011年11月19日 06時06分00秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月19日(土)早朝 今日は大雨の想定です

 金曜日の夜中、午前1時過ぎに事務所を車で出た頃から、雨が降り始めました。ときどき、雨足が強くなりますが、仕事の終わる午前5時過ぎまでは、なんとか少雨で保ちました。

 予報では、今日の昼間に大雨になりそうなので、仕事のおわった時間でホッとしました。

 今年は、洪水の国・タイの洪水は「想定外」で、地震と津波の国・日本の地震と津波は「想定外」でしょうか。

 自然と生命を知らず、地球とその変化を知らず、知らなくても、想定はしなくても何とかなると思ったのが、致命的ですね。

 TPP交渉が、もし成功したりすると、自然や地球の「想定外」の猛威に加えて、社会的な猛威が日本の農業・農民を壊滅させることになるとぼくは思います。

 川勝静岡県知事さんは、ときどきまともな判断と発言をしていて、歴代の静岡県知事さんのなかでは、一番良いと思いますが、その川勝さんでも、TPP問題では、それぞれの農家や農業製品は優秀だから、競争に耐えられるみたいな感想を言っていますが、ほんとうでしょうか。

 すくなくとも、それは個々の農民の実感とは、かなり違うと思いますが、どうでしょうか。


雨宮日記 11月18日(金) ブータン国王ご夫妻を見て

2011年11月19日 05時42分41秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月18日(金) ブータン国王ご夫妻を見て

 若いブータン国王ご夫妻が来日して、テレビで報道を見たり、新聞記事を見ました。ネットもすこし検索して、いろいろ知りました。

 若い国王陛下とさらに若い王妃さま、ラブラブという幸せを周囲にふりまく感じで、すごくいいですね。

 人種的にアジア系というか、日本人に似ています。王様は「日本人の某プロレスラー」に似ているし、王妃さまは、浜松の街を歩いている女子高校生という感じです。

 東南アジアの「半月弧」=照葉樹林文化の西の端と東の端なのでしょうか。

 スピーチで「ここにいらっしゃる皆さん全員を抱きしめたいけど、その代表として王妃を抱きしめます」と宣言して、王妃さまを抱擁。とてもいい感じです。

 ブータンは、漢字で「不丹」と書きます。国の面積は九州と同じくらいで、人口は70万人ですから、浜松市の人口80万人と同規模です。

 人口密度は1平方kmあたり18人。
 
 世界で唯一、チベット仏教を国教とする国です。

 もともとは絶対王政でしたが、いまは憲法を制定した立憲君主国です。その憲法の中に前代の国王さんが提唱した「国民総幸福」が書かれているそうです。

 GNHは 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の9つで構成されているそうです。

 GNPは高いけど、年間3万人が自殺する日本人として考えると、日本国民全員を対象に「国民幸せ度調査」をして欲しいです。

 2007年に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し9割が「幸福」と回答したそうです。

 日本で同じ調査をすれば、何割が「幸福」になるでしょうか。2割?1割?



 

遠州の遺跡・寺社 64 中区三島町の浜松神社

2011年11月17日 05時42分43秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 64 中区三島町の浜松神社

 浜松市内に「浜松神社」はたぶん、これ一つです。浜松を代表するような名前ですが、実際は、中区南部の三島町60番地の旧村社です。

 馬込川が東から西へ曲流している場所の南にあります。

 南北向きで、神社に向かって14度です。

 祭神は『浜松神社名鑑』(のp43)によれば「大山祇命(おおやまずみのみこと)」です。

 『浜松神社名鑑』によれば「古き神主の記録によれば、当社は康正元年【注 西暦1455年】、当村の開郷の際伊豆の国三島大明神より、当所産土神として御分霊を勤請し三島大明神と称したれど、社名は別宮は相成らずとの事にて浜松大明神と改称し明治元年維新の際大明神の御神号を廃して以来浜松神社と称す。」とあります。

 この「大山祇命」は、日本列島の古い神さまで、古事記では「大山津見神」として、天孫のニニギさんが九州に「天孫降臨」したときに出迎えた「コノハナノサクヤヒメ」の父親です。

 この「遠州の遺跡・寺社」では「遠州の遺跡・寺社3 山神社と蜆塚遺跡 2009年11月21日 16時42分10秒 | 遠州古代史」で紹介しました。

 ネット「マピオン」で海抜3m。
 ネット「グーグル」で、緯度経度は、
 北緯  34.69071度、
 東経 137.73904度、です。



 

 

遠州の遺跡・寺社「63 浜松市中区神田町の雀神社」の2

2011年11月16日 05時28分34秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社「63 浜松市中区神田町の雀神社」の2

 昨日の補足です。

 この雀神社は、説明板で「大雀命」さん、つまり「仁天皇」さんを祭っていますが、日本の神社で、歴代の天皇さんのうち、祭神として祭られているのは、誰と誰でしょうか?

 ぼくの覚えでは、この大雀命さん=仁天皇さんと、八幡信仰と合体したホンダワケ命さん=応神天皇さんの2人だけです。

 ということは、天皇家の始祖神として信仰されたのは,応神天皇さんと仁天皇さんの2人だけでしょうか。

 神武天皇を祭る橿原神宮は、明治23年(1890年)の創建ですから、古代~中世~近世の考察のなかには入りません。

 崇神天皇さんとか、継体天皇さんとか、天智天皇さんとか、天武天皇さんとか「神」になってもおかしくはないと思いますが、なぜか、神社にはならないんですね。

 応神さん、仁さんは、日本で最大の大きさの巨大古墳をつくったというくらいです。

 天皇さんではなくても、菅原道真さんなどは「天神」として日本全土のあちこちで神として祭られています。

 この違いは何でしょう?まだ、解答はありません。もっと深く考えます。

 

遠州の遺跡・寺社 63 浜松市中区神田町の雀神社

2011年11月15日 15時29分37秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 63 浜松市中区神田町の雀神社

 神田町(かみだちょう)です。江西中学校の北側の東西に通りを西へ300mほどの信号を南へ折れるとすぐ西に鳥居があります。

 行って見るまでは東向きの神社かと思っていましたが、敷地内で参道が大きく北へカーブして,南向きの神社でした。

 ほぼ0度で、真南に向いています。

 神社名は「すずめ神社」ではなくて「さざき神社」です。祭神は、別名「大雀神社」ということからもわかるように、説明板でも「大雀之命(仁徳天皇)」と明記してありました。

 説明板によれば「合祀 神明宮(天照皇大神)」「摂社 津島神社(須佐之男命)」とあります。

 なお「静岡圏神社庁」のHPでは「ささき神社」とふってありあすが,現地の案内板は「さざき神社」ですし、大雀は「おおさざき」ですので、さざきが正しいでしょう。

 参道が曲がったのは、道路を作るときに曲げたのでしょうね。神社の方向は南北だと思います。

 コンクリの鳥居は明治33年(1900年)建造です。

 雀神社で検索したら、茨城県古川市の雀神社が有名なようです。古川市の雀神社は、
「大己貴命。少彦名命。事代主命」ですから出雲系です。

 名前も本来は「しずめの社」だそうです。

浜松・放射線量測定情報 自宅定点ほか 11月14日~15日

2011年11月15日 15時25分37秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 11月14日~15日

 11月14日(月)21時14分
  平均値 0.049μSv/h
  最大値 0.053
  最小値 0.043

 11月15日(火)14時04分
  平均値 0.042
  最大値 0.044
  最小値 0.039

 14日が比較的高かったようですが、誤差の範囲内なのかは不明です。

 

雨宮日記 11月13日(日) 今日は「飛鳥」「ひのくま」を歩きました

2011年11月15日 05時39分46秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月13日(日) 今日は「飛鳥」「ひのくま」を歩きました

 今日は、則子さんの弟のAくんの車で移動。午前9時ごろ、出かけました。最初は、昨日、行き損ねた大神(おおみわ)神社へ。
 
 びっくりしたのは、どでかい鳥居!「あれ、日本で2番目に大きい鳥居です」だそうです。1番目は?

 コンクリの鳥居のすぐそばの無料駐車場に車を止めて参道を歩きました。おかしなことに、参道が途中で曲がっていくので、あれ?巨大鳥居のむこうに拝殿があるのか、わかりません。

 だいぶ、平地を歩いてようやく山の斜面の石段の前に到着。ここには古びた感じの木製の鳥居があって、ここから本来の大神神社でしょうか。

 荘厳な拝殿をおがんでから、Aくんの案内で眺望のいい展望台から三輪山や奈良の平野を眺めました。

 以下、詳しくは別項目で「日本と世界の古代史」で紹介しますが、ひのくまの「おみあし神社」に始まって、中尾山古墳・高松塚古墳・文武天皇陵古墳を見ました。

 いちおう「飛鳥」の歩くコースに入っているのですが「ひのくまの」の「おみあし神社」は、ぼくたち3人以外、誰もいませんでした。

 でも、わが浜松の「曳馬(ひくま)」のルーツである古代の「ひのくまの」を歩けて、感激です。

 今回は割愛した「栗原(くりはら)」も、次の時には行って見たいです。「くりはら」が浜松とどう関係あるか、すぐにわかる人は、かなりの古代通ですね。

 移動して河原寺跡を見学、飛鳥寺の駐車場に車を止めてから、飛鳥坐神社・水落遺跡・飛鳥寺・首塚などを見ました。

 2日間歩き回って、足が痛くなったので、あまかしの丘の展望台は断念。Aくんに「普通の人は、あまかしの丘の展望台と石舞台古墳は、まず行くんですけどね」と言われちゃいました。

 人が歩かない人生を歩きたいぼくです。

 Aさんに大和八木駅のそばの近鉄デパートまで送ってもらい、デパ地下で、家族と親戚へのおみやげと夕食のお弁当を買ってから、近鉄八木駅へ。

 浜松へ戻ったのは夜9時過ぎでした。

 則子さん、いろいろありがとうございました。新婚旅行いらい、2度目の「ふたりだけの旅行」、すごく楽しかったです。

 

 

雨宮日記 11月12日(土) 山辺の道・飛鳥旅行の1

2011年11月13日 23時20分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月12日(土) 山辺の道・飛鳥旅行の1

 則子さんと2人で、奈良にいる則子さんの弟とじっくり話をするのも兼ねて、山辺の道と飛鳥旅行に行きました。

 言うなら神社と古墳の旅ですが、則子さんと2人きりで泊まりがけの旅行をするのは、以前にあったかな?則子さんもふくめて何人かで行く旅はありましたが、2人だけというのはなかったような気がします。

 朝、こだま自由席で名古屋へ、名古屋駅から指定席の近鉄特急で大和八木へ。大和八木駅で近鉄橿原線に乗り換えて田原本町駅の次の石見(いわみ)駅で下車して…というはずが初めての路線なので、橿原線に乗る電車の方向を間違えてしまい、慌てて西八木駅で下車して逆に戻りました。

 石見駅のすぐ東側の鏡作神社から始めて「鏡作」「神社」という名抄が入っている神社を徒歩で3つ回りました。それぞれ特徴があっておもしろかったです。をのあと、途中のセブンイレブンで覚えた会社名「西村タクシー」で山辺の道の近くの黒塚古墳へ移動して古墳めぐり、詳しくは「日本と世界の古代」でレポートします。

 ここでまたハプニングというか失敗で、タクシーを降りて、ぼくが「則子さん、デジかmを入れた袋は?」と言ったら「え?智彦くんが持ってるでしょ?」と言うので、慌ててあちこち探してもなくて、結論としてタクシーの座席に置き忘れたか、タクシーに乗るときに、大事なデジカメ2台と方向測定器の入った袋を神社に置き忘れたとなりました。

 「西村タクシー」さんに電話しましたが、その「140号車」にはありませんということで、すぐ、その「140号車」さんに黒塚へ来てもらい、戻りました。

 あ~あ、デジカメがなかったらどうしよう、どっか電気屋へ買いにいくかと覚悟していて神社へ着いたら、赤いでっかい鳥居の足元に、ありました!

 ホッとして黒塚古墳へそのタクシーで戻り、古墳巡りを再開、往復で4000円の超過支出でした。こういうときに「あなたがバカだから」とか「君が気をつけないから」とか、いっさい言わない、「どうしてそうなったか」は絶対追求しない、「これからどうしたらいいか」を考え合うのが雨宮家の道徳です。

 黒塚から歩いて、「崇神天皇陵」古墳、「景行天皇良」古墳、箸墓古墳などを歩いてめぐり、箸墓で夕方になったので、則子さんの弟のAくんに電話をして迎えに来てもらいました。

 迎えを待っている間に、箸墓古墳ではなく逆方向の西を撮影している男性がいたので、なんだろう?と思っていました。なんとなく、お互い「こんにちわ」とあいさつをして話を始めたら、「二上山の夕陽を穫っているです」と言う大阪のでした。

 お互いに古代の遺跡の撮影をしていることがわかり、話がはずんで、男性のOさんからパンフレット「」やサヌカイトの破片をいただきました。ありがとうございました。ブログでお礼申し上げます。

 Oさんが「まだホケノ山古墳を見てから帰ります」と立ち去った後で、二上山の黒いシルエットの背後の燃えるような夕陽のオレンジ色が最高によかったです。

 暗くなりかけたときに来てくれたAくんの車で、自宅の橿原市東竹田町へ。彼は、独身ですが、中古の平屋を買ってそこに1人で住んでいます。

 初めて則子さんもボクも、東竹田町を訪問したのですが、栄養士なので料理上手のAくんの料理を味わいながら、おいしい奈良のお酒を飲んで、深い話をいっぱいしました。
 
 なおお酒の名称は、さすが奈良というか「やたがらす」でした。それ何?と言う方は,ネットで八咫烏を検索してください。

 いつ自分が寝たのか、どこまで姉と弟の会話につきあっていたのか…よくわかりません。こういうときは、何を自分がしゃべっていたか則子さんに聞くのもコワイので、あとあと、いっさい聞きません。

 12日に続きます。

 ☆

 補足ですが、いま13日夜に帰って来ましたが、則子さんに「新婚旅行以後で、2人だけで宿泊付きの旅に出た事って記憶ある?」と聞いたら、則子さんも思い出せませんでした。

 ということは自他ともに「認める(誰が?)」ラブラブ夫婦の雨宮夫妻は、新婚旅行から30数年ぶりの二人だけの旅行、となります。

 また二人で行きたいな。まあ家にいる次女のIさんと3人でもいいですが。次に行きたいのは、山辺の道・飛鳥の、今回いけなかったところか、古代のレイラインがかなり鮮明に判明している伊勢・志摩です。

 

雨宮日記 11月11日(金) 今日は111111「いい日」

2011年11月12日 05時46分34秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月11日(金) 今日は111111「いい日」

 今日は朝から夜まで雨でした。

  ☆

 今日は「2011年11月11日」で「いい・いい・いい日」です。何がいいの?と突っ込まれると困りますが。

 谷村新司さんの「いい日旅立ち」の日ですので、雨宮ブログも新たに、別の「浜松市政とくらしノート by雨宮智彦」を立ち上げました。

 浜松市政と自分たちのくらしや日本と世界についてのノートを日々記していきます。

  ☆

 12日朝から13日夜まで、則子さんと「旅に出る」ので、ブログ更新は中断かな。則子さんの弟が奈良にいるのでじっくり話に行くのと、ぼくのお目当ての飛鳥と山辺の神社と古墳に会いに行きます。

 

雨宮家の物 3 神社と古墳の方向測定用の磁石(旧)

2011年11月11日 23時25分41秒 | 雨宮家の物
雨宮家の物 3 神社と古墳の方向測定用の磁石(旧)

 「遠州の寺社・遺跡」探訪のとき用に、車に常備していて、神社の神さまの見ている方向(反対方向は僕たちが神社を拝む方向=鳥居の真ん中に神社の拝殿の中心を入れて測ります)や前方後円墳などの方向を測っています。

 これはずっと使ってきた器械で、昔、天文ファンのとき(今でも天文ファンですが)に買った方向測定のコンパスです。

 小型の望遠鏡の中にコンパスが組み込まれていて、視界のなかで「何度」か測ることができます。

 壊れないのでずっと使っています。
 
  ☆

 ここまで書いてから、ネットで念のため「天体観測 コンパスグラス」で検索したら、出てきました。

 アマゾンで「コンパスグラス 一般用モデル」石神井計器製作所、1万5千円前後でした。これ、そんな高かったのかあ、びっくりです。もちろん、ボクが買ったのは、たぶん20年以上前?ですから、もっと安かったと思います。

 誤差は±2度以内、と書いてあります。


原発ニュース 11月11日 文科省が空中で静岡県測定

2011年11月11日 23時11分41秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 11月11日 文科省が空中で静岡県測定

 文部科学省が空中から静岡県内などの放射線量を量ったデータを地図で公表したので公式サイトを見ました。

 たぶん明日の12日の新聞に掲載されると思いますが、文科省のサイトを見たら、静夫か県内は浜松市天竜区の北半分くらい、川根本町、静岡市葵区の北3分の1くらいで、0,1μSv/h以上、ほかはすべて0.1以下です。

 空中から測るので放射線量のまだら模様は平均化されます。

 今回とこれまでの測定で、地上1mの放射線量が、富山県~岐阜県~静岡県より東の東日本での地図ができています。

 福島第1原発から南へ東京まで到達する流れと,西へ群馬県まで達する流れがあります。

 北へは岩手県・宮城県・山形県でそれぞれの県境などに0.1以上の地域があります。

 群馬県までの流れとはすこし離れて、富山~岐阜~長野~静岡県に0.1以上の帯があります。

 これは果たして福島原発事故の影響なのでしょうか?それとも花崗岩など岩石から出る自然放射能でしょうか?



 

遠州の遺跡・寺社 62 中区早出町の延命地蔵尊

2011年11月11日 16時40分07秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 62 中区早出町の延命地蔵尊

 「61」で紹介した「中区早出町の村社八幡宮」の北西、馬込川の東岸・堤防上の道路の東脇にある小さな祠です。

 この前の台風でちぎれたのか、赤いのぼりを見ると「延命地蔵尊」と書いてありました。

 祠の中に石のお地蔵様がいらっしゃいます。お地蔵様の正面に向かって228度です。つまり、お地蔵様は北東の方向(真北から45度)から3度南へぶれた方向を向いていますが、まあ北東でしょう。道路の加減なのか、真夏の太陽の日の出を見ようとしているのか、どっちでしょうか。
 
 祠の右前に、ひらがなで「おん かかか びさんまえい そわか」と書かれています。何の祈願文でしょうか。

 祠の中の石の延命地蔵様は、左手に玉を持っています。地蔵様の頭の上には「卍」が刻まれています。これは何でしょうか。地蔵様などについては素人なので何も分かりません。これから調べます。

 延命地蔵様の横(後ろ)には、秋葉灯籠があります。