雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 61 中区早出町の村社八幡宮

2011年11月11日 16時24分51秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 61 中区早出町の村社八幡宮

 場所は早出町のマックスバリュー早出店(昔の松菱マート)のすぐ西の信号を北に入っていくと、それがまっすぐ八幡宮の参道につきあたります。

 というよりマックスバリューの横からずっと八幡宮の参道だったのではないでしょうか。

 神社へ向かって測ると、真北から6度東へぶれていますが、まあ真北と言っていいでしょう。鳥居から神社までの石畳の参道は神社からまっすぐ出て、すぐ向かって左へズレ、さらにまた右へずれて、要するに1回だけ之ジグザグになっています。なぜでしょうか。

 祭られているのは「誉田別命 応神天皇」さんですが、スサノオ命さんと、天照大神さんが合祀されています。

 もともと、八幡(はちまん)さまは、8つの「はた」と書くように秦(はた)族の氏神だと思いますが、たぶん源氏の氏神として全国に広がったので、秦族のことは知らずに祭っている「八幡さま」も有るのかも知れません。

 このすぐ近くには、近世の今川時代の「引馬城」の家老・江間家の屋敷もあったので、たぶん八幡宮は江間氏が尊崇していたのでしょうか。

 浜松地域の「秦族」の居住地の本拠地は、今の東区「半田町」「半田山」のあたりではないかと思います。

 (探訪&撮影 2011年11月11日(金)午後)
 

 

遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その4 「万葉集」の檜くま

2011年11月11日 05時38分57秒 | 遠州古代史
遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その4 「万葉集」の檜くま

 現存の「万葉集」のうち、地名としては「檜隈川」が歌われている歌が2首あります。

 1首は「巻第七」の「雑歌ざふか)」の「河を詠める十六首」(1100~1115)のうち、1109番です。

 中西進さんの読み下し文で

 「左檜隈(さひのくま) 檜隈川の瀬を早み 君が手取らば 言寄せむかも」

 原文の前半は「左檜乃熊 檜隈川之」

 もう1首は「巻第十二」の3097番です。

 「左檜の隈(さひのくま) 檜隈川に馬駐(と)どめ 馬に水飲(か)へ われ外(よそ)に見む」

 人名の中の「檜隈」は、また次回に…。


遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その3 古事記の檜くま

2011年11月10日 16時05分15秒 | 遠州古代史
遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その3 古事記の檜くま

 以前に「遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その1」(2011年08月20日 05時23分10秒)と「遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その2 江戸の檜前氏」(2011年08月20日 17時48分39秒)を書きました。

 その続編です。

 『古事記』には「檜くま」という地名は2カ所だけ出てきます。宣化天皇さんは、継体天皇さんの息子ですから、たぶん6世紀前半の人です。

 この人が「「檜くま(「くま」=「土偏」+「向」)の廬入野宮(いほりののみや)に坐(いま)し、天の下、治しめき」と書いてあるのと、次の天皇の欽明天皇さんの項目に「檜くま天皇(ひのくまのすめらみこと)」と紹介してあるところ、それだけかと思います。

 (読み下し分は中村啓信さんの訳註『古事記 新版』角川ソフィア文庫によりました)






浜松・放射線量測定情報 自宅定点 11月10日(金)

2011年11月10日 15時51分04秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 11月10日(金)

 測定器:堀場製作所「RadI PA-1000」
 測定回数:10秒ごとに60秒積算値を自動表示、10回観測
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(舗装)のA地点

 11月10日(金)15時28分、くもり、微風
  平均値 0.048
  最大値 0.050
  最小値 0.046

 先週、久しぶりに訪問した友人の家で「ラジオライフ」という雑誌を見せてもらいました。偶然、本屋で見て買ったのだそうです。

 表紙の写真にあるように放射線量測定器で数万円の安いガイガーカウンターの精度の特集をしていて、実際に現場で測って「標準測定器」との差を書いています。

 ほとんど標準測定器の数値より多く、そのガイガーの測定値に0.7がけくらいで標準値になるものが多いです。中には、標準測定器と同じくらいの値を出す機器もあります。

 この標準測定器に、ぼくたちが買って使っている、堀場製作所「RadI PA-1000」が使われていました。

 

雨宮日記 11月10日(木) ブログ開設2周年です

2011年11月10日 15時43分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月10日(木) ブログ開設2周年です

 雨宮ブログ開設日から730日目です。つまり365日×2=730日で、ちょうど2周年です。

 最初の記事は「遠州古代史1 浜松の神社の方向性」(2009年11月09日 23時21分16秒 遠州古代史)でした。

 今日までで「266,566 PV」です。

 「何周年」まで書けるか、わかりませんが、長く続けたいと思っています。

 ご愛読をよろしくおねがいします。

 今日はくもり空、「ファミリー床屋さん」でぼくの髪を切ってもらいました。

雨宮日記 11月8日(火) 寝ていたら「今日は○○でしょ?」

2011年11月09日 05時35分03秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月8日(火) 寝ていたら「今日は○○でしょ?」

 朝、今日は何も予定がないとなぜか思い込んで、アルコールで口を消毒して、いい気持ちで寝込んでいたら,お昼12時前に、則子さんが「今日は、環境審議会の傍聴でしょ?」とぼくを起こすので、ハッと目を覚ましました。

 そうだ、今日は午後1時半から、鴨江の保健所での「第2回環境審議会」の傍聴の日でした。慌てて起きて、1階へ降りてシャワーを浴びて、ヒゲを剃って着替えました。

 最近は、ずっと風呂のお湯につかったことがほとんどありません。毎日、シャワーですませています。

 則子さんが作ってくれたお昼の焼きそばを食べて、日課になっている放射線量測定を家の駐車場のA地点でして、午後1時前に、則子さんと車で家を出ました。

 鴨江へ車を運転していたら、則子さんが「夜は原水協理事会だね」と言うので、えっ!?!

 そういえばそうですが、うっかり手帳に記入し忘れていたので、「うわ、夕方にレジュメをボクが作るんだね」と言うと、あたりまえのように「そうよ、智彦くんの仕事でしょ」と応えるので、「はい、わかりました」と観念しました。

 保健所3Fの「多目的相談室」で審議会でした。審議委員は16人中11人が参加、傍聴はぼくたち2人だけ、報道記者はゼロ、環境部の職員は20数人が参加していました。何か質問があれば答えるための必要な待機でしょうけど、20数人のほとんどが発言なしで午後の時間を過ごすのは、浜松市が最近好きな言葉「費用対効果」という点で、どうなのでしょうか。

 午後1時半から午後4時半まで、3時間、たっぷり傍聴して、メモをとりました。詳しい報道は、ゴミ環境ネットの「浜松ごみエコロジー環境ブログ」で書きます。

 保健所からの帰り、スーパー「丸滝」に寄って、則子さんが夕食の材料を買いました。

 夜は、浜松市原水協理事会でした。則子さんは事務局長で、ぼくはその下で働く事務局員です。もちろん、ボランテアで無給です。

 浜松市の「平和都市宣言」を踏まえて、どう前進させるか、まず私たちが民間から、たとえば「浜松市平和都市宣言」のポスターやシールを作って宣伝しよう。

 浜松市と、宣言のお礼と施策の具体化の懇談をしようということになりました。

 午後と夜、両方ともみっちりだったので、すこし疲れました。理想的には午後と夜は何もないのがベストですが、そうもいかないので、午後か夜か、どちらかに1回予定が入るくらいがいいのですが。

 真夜中に、すこしだけ雨粒が落ちましたが、雨には足りませんでした。


浜松・放射線量測定 11月8日(火) 自宅定点と保健所内

2011年11月09日 05時28分24秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定 11月8日(火) 自宅定点と保健所内

 12時52分、自宅A地点、地上1mで10回計測
  平均値 0.052μSv/h
  最大値 0.056μSv/h
  最小値 0.048μSv/h

 13時30分、鴨江・保健所3Fロビー、机の上
  平均値 0.084μSv/h
  最大値 0.093μSv/h
  最小値 0.074μSv/h

 やはり浜松市内では、建物の中は高いです。


雨宮日記 11月7日(月) 今日は立冬、冬がそこに立っている

2011年11月08日 05時27分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月7日(月) 今日は立冬、冬がそこに立っている

 昨日の続き。「夕陽の帝国」「日没の国」と書きましたが、後で思い出したのは宮崎駿さんのコミック『風の谷のナウシカ』で土塁(ドルク)の「皇兄」が、トルメキアの王女クシャナに「ドルク=トルメキア二重帝国」と言い、2人の結婚で「たそがれの帝国を作ろうではないか」と演説するところが頭に残っていたのかも知れませんね。

 今の「この世界」は、ナウシカが生きた「腐海」の隅の末期症状の世界、に似ているように感じます。

 そうだ、思い出しました。半年前の3月頃、福島原発事故での放射能汚染を知って、妻の則子さんが「まるでナウシカの世界みたい」と言ったことを。

 放射能汚染と生きていかなくてはいけないので、ぼくらは放射線量測定器を買って、生きていきます。
 
 いや「放射能除去」だけではなく「放射能から他地域に避難する」という方法も当然、あります。

 「お前だけ逃げるのか」なんてことは言わないようにしたいです。逃げる権利はあります。

 どうしてこんな世界に?、という疑問をナウシカのように探求して行きたいと思います。

 今は、ナウシカやクシャナやチククやユパが必要な時です。

 「じゃあ、あなたは誰?」
 「ぼくはナウシカに仕えるクロトワです」

  ☆

 今日は立冬です。

 我が家の東経・北緯は、東経137度44分45秒、北緯34度43分57秒。

 『理科年表』のデータで計算すると、今日の日の出・日没は、マイナス19.4度です。それがどうした?と言われると思いますが、この角度に近い神社は、「立冬」の神社となります。

 
 



 

雨宮日記 11月6日(日)夜 「夕陽の帝国」で生きるとは…

2011年11月07日 05時27分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月6日(日)夜 「夕陽の帝国」で生きるとは…

 自分の部屋を、則子さんに「1日1袋」と公約してゴミを片付けていると,昔、買った森山良子さん(歌手)のCDが出てきました。これはこのなかの「さとうきびばたけ」が聞きたくて買ったのだと思います。
 
 聞いてみると、なかに「歌ってよ夕陽の歌を」があり「歌ってよ 夕陽の歌を 歌ってよ 心優しく」と歌っていました。

 「夕陽の歌」という言葉が心に染みるので考えてみたら、今、2011年の日本は「夕陽の時代」「たそがれの時代」なのではと思いました。

 「日本」は元々、東アジアでは「日出ずる国」ですが、最近はどうも「日没の国」になったようです。

 60年前、日本は戦争で負けて社会が崩壊し、そこから復興したはずなのに、その戦後に,共同体と絆が崩壊し、さらに原発事故で福島県の社会は崩壊、さらにこれからTPP協定で農業が崩壊し,日本は夜になっていくのでしょうね。

 いまTPP協定に「参加したい」という意見を聞くと、まるで太平洋戦争の開戦の時と同じような感じです。

 いわく「このままではじりひんだ」「やってみなければわからない」「バスに乗り遅れる(当時は1941年夏にドイツ軍がソ連に攻め込んだばかりでした)」。

 ぼくは「敗戦」から「復興」したというのが何か、勘違いのように思います。敗戦して戦後のアメリカとの従属関係をそのままにして「復興」ということがありえるのでしょうか。アメリカからの「従属」から「自立」して初めて復興と言うことが言えるでしょう。

 福島原発事故からの復興というなら、原発からの交付金に依存した,従属した自治体財政を解消してこそ、復興と言えると思います。

 お金ってコワイですよね。

 日本の農業や農民をつぶしても、工業で儲けたお金で世界の農産物がお金で買えると思っているのでしょうね。

 もう日本の農業は瀕死だというなら、その瀕死の病人を手厚く看護するのではなくて、真冬の寒風に放り出して「競争に勝ち抜け」と言うような、あこぎな行為はやめましょう。

 夕陽の帝国、たそがれの日本で、心が凍え死んでしまわないように、お互いに暖め合って、生きていきたいと思います。

   ☆

 深夜に車を運転して、午前4時頃、浜松芸術文化大学の北を通ったら、道路の横の電柱に、かっこいいスポーツカーがぶつかって電柱を斜めにしていました。居眠り運転でしょうか。

 眠たいときには、道路の横に車を止めてすこし仮眠するか、甘いコーヒーを飲んだりします。ぼくは車に、「ブラックミント」を常備していて、眠くなるときはそれを3粒嘗めています。

 基本は夜中の運転は、その前の夜に、必要な睡眠を取るということですね。無理をしないで、体力を付けて、必要な事態に備えるというのことは、個人でも、国でも同じだろうと思いますが。

 

 

浜松・放射線量測定情報 自宅定点A地点 11月1日(火)~3日(木)

2011年11月05日 05時24分05秒 | 雨宮日誌
浜松・放射線量測定情報 自宅定点A地点 11月1日(火)~3日(木)

 11月1日(火)21時52分、夜空は晴れで星が見えます
  平均値 0.045μSv/h
  最大値 0.052
  最小値 0.038

 11月2日(水)14時53分、くもり、微風
  平均値 0.049
  最大値 0.055
  最小値 0.039

 11月3日(木)14時02分
  平均値 0.043
  最大値 0.049
  最小値 0.039

 福島第1原発2号機の「臨界騒動」で、もしかしたら増えるかも、とも思いましたが、大きい変動は無しで、平常値です。


雨宮日記 11月2日(水) 毎日、部屋の整理で…1袋の「ゴミ」を

2011年11月04日 05時53分49秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月2日(水) 毎日、部屋の整理で…1袋の「ゴミ」を

 9月はじめから10月の末まで続いた市内の放射線量測定が一段落したので「こんどは何をしようかな」とつぶやいたら、則子さんが「わかってるでしょ」と応えました。

 家の2階は、南から「則子さんの部屋(夏の前は則子さんと長女の部屋)」「ぼくの部屋1」「ぼくの部屋2」「次女のの部屋」と部屋が4つ、トイレが一つあります。

 家は南北の方が東西より長いです。

 いまは則子さんの部屋をすこしお借りして、パソコンに必要な記録をしながら、紙ゴミと必要品を仕分けています。

 則子さんは「今だけだからね、真ん中の部屋が片付いたら撤収して」ときびしい指令を出してます。

 夜、則子さんの部屋で「事業仕分け」をしていたとき、うっかりして自分の部屋のドアを閉め忘れていたので、次女が2階へ来て「お父さんの部屋、きったない!」と大声で言うので「覗くなよ」と言ってやりました。
 「自分で開けてるから見えるじゃん!」と行ってしまいました。

 ここまで打って午前6時02分、窓の外が明るくなってきました。もうじき夜明けです。そろそろ寝ないと…。

 則子さんの部屋も早く、地震対策で家具を固定しないと、震度6弱の下敷きになるので、2人一緒に下敷きになるならいいのですが(よくない!)、ぼく1人で下敷きになるのは寂しいので。
 
 「文化の日」でしたが日記は文化的話題ではありませんでした。

お知らせ 放射線量測定結果の表の配布と、希望場所の測定

2011年11月04日 05時45分45秒 | 地震・原発・津波・防災情報
お知らせ 放射線量測定結果の表の配布と、希望場所の測定

「浜松市内放射線量測定結果(第1次)の表」(3つの部分に分かれます)を掲載したいのですが、罫線がカットできなくて、今すぐ掲載できません。
  ① №1 「A 路上のメッシュポイント他」コンクリ上
② №2 「B 公園・草地と路上との比較測定」
③ №3 「C 役所・駅など建物の内外での計測値」

 希望する方には、8ページの表を郵送・または手渡ししますので、メール・メッセージでご連絡ください。

 また、あなたの希望する場所での放射線量測定をおこないますので、ご相談ください。ただし、浜松市内・湖西市内に限ります。遠くへは行けないので、北遠はちょっと無理だと思います。

 道路・公園・あなたの自宅・公共の建物など。

 

雨宮日記 11月1日(火) 浜松市長さんと「元気な浜松!懇談会」で

2011年11月03日 06時01分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月1日(火) 浜松市長さんと「元気な浜松!懇談会」で

 知り合いから「こういうのがあるんだけど、雨宮さん行ってみる?」と誘われて、午後7時から浜松情報センターホールで開かれた、鈴木康友市長さんとの懇談会に行ってきました。

 則子さんが「発言するんでしょ?スーツを着ていったら?」と言うので「スーツなら発言は正しくて,ジャンバーなら発言は妖しいの?」と抵抗しましたが、押し切られて、スーツで電車に乗りました。

 午後6時半頃にホールに入ったら、入場者は数人で、やっと開会の7時近くに人が増えてきました。ところが、ぼくらより上の世代の男性がほとんどで、女性は会場内に座席で3人(一人は新聞記者さんかな)、スタッフの市職員に数人でした。

 たぶん、自治会関係者が多いのでしょうか、60才のぼくや62才の則子さんより年配の世代の方が多かったと思います。

 最初に鈴木康友さんから、市政の解説があり、そのなかで、自然エネルギーの重視を強調していました。

 原発の廃止や原発からの脱却は、まったく言及していませんが、1枚の紙の表裏としての「原発廃止=自然エネルギー重視」ですので、ボクとしては高く評価します。

 事前に質問を申し込んだ方、4人の後、挙手で対話があったので、ぼくは自由発言の2番目に発言しました。

 「はい!」と手を挙げて,マイクを持ってきてくれた市職員の女性に「すみません、市長さんと中区長さんに、この資料を渡してください」と頼んで、発言しました。

 発言は、ぼくと則子さんがこの1ヶ月半、測ってきた自主的な放射線量測定の報告と浜松市が測定器を買ってしらべて欲しいという話です。

 市長さんは、機器管理部長さんに発言を譲って「国の政策も含め、いろいろ検討します」という部長さんの返事で、市長さんの決断が聞けなかったのは残念です。

 放射能の影響が心配される、若い世代と女性がほとんどいない「元気な浜松!懇談会」でした。

 市長さんに「若い女性(何才以下)との懇談会」を提案してみましょうか。


原発ニュース 11月2日(火) 福島第1原発の2号機で臨界放射線検出

2011年11月03日 05時43分56秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 11月2日(火) 福島第1原発の2号機で臨界放射線検出

 東京電力は、福島第1原発2号機の格納容器内の「ガス管理システム」で1日にキセノン133とキセノン135を、2日にもキセノン135を検出したと公表しました。

 キセノン133は半減期が5日で、キセノン135は半減期9時間です。どちらも、核分裂でできたものと推定され、格納容器内で、溶けた核燃料の「再臨界」が起きていると推定されると報道されています。

 この「ガス管理システム」をつけたのは2号機だけなので、まだ取り付けていない1号機と3号機でも、これをつければ検出の可能性があるということです。
 
 「冷温停止」など誇大広告です。

 2号機の「温度」は100度以下に下がったといいますが、格納容器と圧力容器の内外で核燃料がどうなっているかさえ、いまだにわからないのですから、とても核燃料のコントロール(制御)ができているとは言えません。

 イメージと推理で言うと、あれだけ海水や冷水を注ぎ込んだのですから、溶けた核燃料の外側は冷えて固まっているけど、内部は、まだ熱く燃えていて…というイメージでしょうか。

 テレビを見ていると、臨界は「規模は小さい」「局所的」とか、「自然崩壊の各部レンツもあるとか」言い訳が多いですが「核分裂」と「臨界」が起きていることに間違いはありません。

 報道で「中性子が観測されていないから本格的な臨界ではない」と言ってる学者さんがいましたが、そもそも中性子を測ったデータでは出ていないという報道があるのでしょうか?測っているのかどうか、さえもわかりません。
 
 中性子を測っているなら、測っているデータはこうです、という記事があってもいいですが。