雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 6月13日(水) 12日夕方に、わが町内で中学生が飛び降り死亡、自殺?

2012年06月14日 06時07分07秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 6月13日(水) 12日夕方に、わが町内で中学生が飛び降り死亡、自殺?

 すごくショックです。

 自宅の十軒町の十階建てのマンションの屋上から、そのマンションに住む曳馬中学二年生が、おそらく飛び降り自殺しました。

 「静岡新聞 6月13日」は、小さい記事で「中2男子が転落死」と書いていて「中区」しかわかりません。「中日新聞」は、もっと詳しい報道で「曳馬中学校2年の男子生徒(13才)」、「十軒町」と明記しています。

 昨夜、則子さんに、切り抜き記事を見せたら「昨日、Iさん(同居する次女)が、帰りに、そのマンションの周りに警官がいた。なにかあったのかね、と言っていた、と。

 その次女のIさんが同じ曳馬中の2年の夏(今頃です)に不登校になったのが10年前頃です。

 十年前のことが、いまだに解決できていないようで、すごく切なく、悲しいです。

 思春期のテーマは「自我に目覚めよ」ということだと思いますが(「トーマの心臓」よりぱくり)、自我の形成ができないで、思春期を迎えた悲劇なようにも感じます。

 学校に行くにしろ、行かないにしろ、それを決定する「自我」の形成が決定的です。
 
 そうだ、そういう「自我」の目覚めは思春期でも、自我の「形成」は幼児期かもしれませんね。

 則子さんは、いつも、高層住宅の生活は、土から離れていて、感覚がおかしくなると思うと言ってます。

 否定はしませんが、おかしくなる方の原因ではなくて、まっとうになる方の原因で、子どもたちやぼくたちの、大地や自然や生きものとの関わりを、もっともっと大事にして、生きていけば、こういう惨劇は、すこしは避けられるでしょうか。

 他人のいのち。

 自分のいのち。

 いちばんだいじなものであることが、分からなくなって、死んじゃったの?

 ぼくは悲しいよ。

 もちろん、君の決定は尊重するよ。でも、凄く悲しい。

 

遠州の遺跡・寺社・地名 80 北区都田町の「沢上稲荷神社」

2012年06月14日 05時38分49秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 80 北区都田町の「沢上稲荷神社」

 北区都田町の「都田テクノ北」信号のすぐ東の「サンクス都田テクノ店」の北向かい、東西に少しクネクネと曲がって走る「362号線」沿いに「沢上稲荷神社」があります。

 昨年、則子さんと「放射線量測定の旅」で初めて見付けた神社ですが、今年6月10日(日)に則子さんと再訪しました。
 
 「沢上(さわがみ)」は、この地域の地名だと思います。

 この沢上稲荷さまは、道路からかなり奥にあります。普通、稲荷神社にはつきものの「お狐さま」もいないし、建物もあまり神社らしくなく、地域の集会所的な感じです。

 それに、こんな高い台地の上の「お稲荷さま」は、本来の稲作との関係ではなく、その後の「商売繁盛」で商業とからんで、こういう高台に進出してきたのではないでしょうか?

 お稲荷さんが新しい神である証拠に、8世紀に編集されたとされる『古事記』『日本書紀』には、お稲荷さまの影も形もありません。

 「沢上稲荷」さまが、新しい証拠を、次の「80の2」で書きたいと思います。

 やはり、事件捜査の刑事さんがいう「現場百辺」で、100回はいかないといけないという「精神」は、よくわかります。

 

 

雨宮日記 6月13日(火) 岩手県山田町からの木材チップの焼却の放射線量

2012年06月13日 06時05分49秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 6月13日(火) 岩手県山田町からの木材チップの焼却の放射線量

 今日の中日新聞朝刊に、浜松市役所で29日まで、午前と午後2時からの2回、岩手県山田町の木材チップと焼却灰の放射線量を市が用意した測定器で測れますと、書いてあったので、則子さんを誘って車ででかけました。

 午後2時前に市役所1Fロビーについて会場の展示を見ていたら、「雨宮さん!」と声を掛けられました。○○党浜松市議団事務局の酒井さんでした。いろいろ話していたら、環境部の担当者の方が到着して、実際に測らせてもらいました。

 浜松市の器械は80万円だそうです。ぼくたち(ゴミ環境ネット)の器械は12万円、でも同じところで測定したら、同じ値でした。

 木材チップも、焼却灰も、0.09~0.10μSv/hで、これはたぶん、市役所の建物のなかのバックグラウンドを計測しているので、現実の値は、もっと低いと推定されます。

 この問題については、焼却場のバグフィルターの問題や、排ガス問題も含めて、もっと考えます。

遠州の遺跡・寺社・地名 79の2 北区都田町の見徳古墳のすぐ北の無名神社の2

2012年06月13日 05時57分23秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 79の2 北区都田町の見徳古墳のすぐ北の無名神社の2

 無名神社の左横に、石の灯籠が立っていて、こう彫られています。

 「文化十 ○○ 正月吉日」

 なお「文化十年」は西暦で1813年、つまり今から199年前です。


遠州の遺跡・寺社・地名 79 北区都田町の見徳古墳のすぐ北の無名神社

2012年06月13日 05時50分44秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 79 北区都田町の見徳古墳のすぐ北の無名神社

 6月10日(日)に見徳古墳を見に行ったら、ゼンリンの住宅地図「浜松市北部」に、見徳古墳(は明示されてません)のある付近の北側に、神社の記号がありました。名前はありません。

 見徳古墳の辺りは最高峰なので、北側へ少し高度が下がったところ、林の中を降りていったら、小さな東向き(?)の神社がありました。

 たぶん、ここへ北から登ってくる道があるので、ここから北側の集落が支えていた神社でしょうか?

 瓦が散乱していて「水」の字もあります。もしかして「水神社?」

 

雨宮日記 6月11日(月) 浜岡原発永久停止裁判の第5回口頭弁論でした

2012年06月12日 05時53分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 6月11日(月) 浜岡原発永久停止裁判の第5回口頭弁論でした

 則子さんやボクも原告の一人として参加している「浜岡原発永久停止裁判」は、民事裁判です。民事の場合、一回一回の裁判を「口頭弁論」といい、刑事事件の場合は「公判」というのだそうです。この前の裁判の事務局会議で、弁護士さんから聞きました。
 
 ということで、今日は午後3時から口頭弁論ですが、原告の意見陳述の書面を傍聴者に配布する準備などで、則子さんは、早めに午後1時頃、バイクで家を出て共同法律に向かいました。
 
 まだ、いつもの時間帯で寝ているボクに、耳許で優しく「傍聴券の抽選の午後2時半に間に合えばいいからね」とささやいて出て行きました。でも、ささやかれた通り午後2時半に行くのでは、あとで恐ろしいので、1時半頃家を出て、電車に乗りました。

 午後2時前、裁判所前ですでに傍聴の抽選の行列ができています。それを横目に弁護士会館へ行き、則子さん達と合流。裁判所か、弁護士会館か、どっちへ何時何分に集まるか、細かい指示が事前に必用と思いました。
 
 午後2時半に傍聴の抽選。ぼくは「0048」で当たったので、入らせてもらうことにしました。則子さんは他の原告に譲って外で待っています。

 大飯原発「再稼働」の影響か、前回より傍聴者も多いし、マスコミも多いようです。なんだか、裁判所もぴりぴりしているようで、職員が法廷の中に入って、3人ほど傍聴者を監視していました(たぶん)。

 阿部弁護士が20分間、「準備書面②」の内容を発言し、そのあと、原告4人がそれぞれの立場から4分づつ意見陳述をおこないました。

 長く原水爆禁止運動をしてきた静岡県原水協の元理事長の中野さん、菊川で農業をしてきた女性の山内さん、小説家の廣岡さん、若い頃に鹿島建設で原発技術者で、それに疑問を持って退職した浜松の落合さん、4人それぞれの意見陳述は圧巻でした。

 ぼくはずっと新しく裁判長になった中年男性の表情を注視していました。4人の原告の意見に聞き入って。ときどきうなずいている感じ!そして、ときどき、右側の中電の弁護団の席に目をちらちらさせて「君たちは、この意見にどう答えるの?」となげかている表情でした。

 何よりも、4人の原告の陳述は、まだ心があるなら、中電の弁護団や、最後尾のボクの席の右横にいた4人の中電社員の人の心に届いたと思います。
 
  ☆

 弁護士会館の会議室を一杯にして報告集会をおこないました。かなり、立ち見が出たのと、席がなかった記者さんは廊下に座り込んでノートパソコンを開けて記事を打っていました。次回は「記者席」を用意しましょうか?と「市政記者室」と相談しないといけないですね。

 傍聴や報告集会の運営など、いろいろ不十分な点も多いので、早く全体の支援組織を発足させたいと、共同法律事務所へ会場を移動して、短時間の、第1次~第4次原告団の打ち合わせ会議をしました。

 少し前進しましたので、具体化していきます。
 
 Oさんは「この後、べつの会議があるので」「詰められるなあ」とぼやいて別れました。ぼくと則子さんは、こういう重要な裁判の後は、むかし労災裁判の会議の後も、必ず、行ける人で喫茶店へ行って、今日のことをいろいろな角度から話し尽くすのが大事と学んできたので、2人だけで共同法律の筋迎えのしゃれた喫茶(ロロ?)に行きました。

 こういうのって、至福の時なんですけど。裁判所のことから、宇宙137億年の彼方のことまで、何でもしゃべれますから。



 

遠州の遺跡・寺社・地名 78 北区都田町の見徳古墳

2012年06月10日 20時14分01秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 78 北区都田町の見徳(けんとく)古墳

 見徳古墳へのアクセスは、北区の都田総合公園へ広いテクノロードから行って、公園の 南⇒東⇒北と周回して、「見徳霊園」の駐車場へ車を入れます。
 
 駐車場から北へ、墓地と駐車場のあいだの少し広い道を渡って墓地に入ってすぐ左へ細い道を曲がります。右の墓地と左の草地の間を歩いて行くと、だんだん上へ昇っていき、頂上へ出ると、目の前が見徳古墳です。
 
 東の眺望が良くて、古墳の位置として納得できます。
 
 古墳は直径12m、高さ2mの円墳で、7世紀初頭の築造です。
 
 南側に横穴式石室が開いていて、いまも入ることができます。石室の全長は8.31mの擬似両袖式です。

 

雨宮日記 6月10日(日) 都田へ古墳と神社を見に・・

2012年06月10日 19時34分37秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 6月10日(日) 都田へ古墳と神社を見に・・

 本当は舞阪地域へ神社と過去の津浪災害の調査に行くから「オニギリ作ってね」と言ってあったのですが、からだが言うことを聞かず(則子さんいわく「単に飲みすぎでしょ?」)、けっきょく車で則子さんと二人で都田地域へ向かいました。曇りです。

 三浦橋の南にカルガモ一家(カルガモ夫婦と生まれたばかりの小さな子どもたち)を則子さんが見ました。カルガモさん、おおぜいの子育て、大変ですね。ぼくらは2人で打ち止めでした。

 家から三方原台地の上へ登り、昔の「満州街道」、今の都田テクノロードを北へ。則子さんに「なんでテクノロードなんて品もない歴史もない名前をつけるんだろうね?」って言っていたら、道路の左側に「歴史的標識」で丸太をはいで「満州道路」と書いてありました、目立ちませんね。

 都田総合公園の外周を 南⇒東⇒北 と回って「見徳霊園」の駐車場に車を入れました。駐車場からすぐ北の墓地に入ってすぐ左を、草地の間の細い道を、山の上へ西へ昇っていきます。墓地と駐車場のあいだの少し広い道は西の下に降りていく道なので間違えないで下さい。

 今は、墓地の中に白いハルジオン(つぼみが下がるのでヒメジオンではなく「ハル」です)がいっぱい白い絨毯のように咲いています、大きなハチ(スズメバチ?)やモンシロチョウやウスバキトンボが飛んでいます。 

 頂上へ到着すると、根の前が見徳(けんとく)古墳です。あとは「浜松の遺跡・神社・地名」で。

 南側に横穴が空いていて、横穴の中に入ることもできます。「入れる」場合には「必ずはいる」のが雨宮智彦の憲法ですし、「火事とけんかは江戸の花、古墳と神社は浜松の花」なので、ぼくは入りました。こういう場合は則子さんは、「則子憲法」は知らないので理由はわかりませんが「必ず入りません」ね。もしかしたら、高所恐怖症に加えて、閉所恐怖症かも知れません。

 ここで、則子さんの作ってくれたオニギリを1個だけ食べました。あとは家で娘に食べられてしまったようです。

 墓地なので探してみると、素敵な石仏さまや、観音様があり、「大東亜戦争戦没兵士の墓」もありました。どれもあまり判読できませんが、昭和20年7月、比島、つまりフィリピンでというのもありました。

 今日はここを出発点に、神社4つを回りました。「浜松の遺跡・神社・地名」で書きます。

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 77 東区神立町の蒲神明宮

2012年06月09日 11時17分00秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 77 東区神立町の蒲神明宮

 浜松市内でも八幡宮とともに最も有名な神社でしょうね。「パワースポット」にもなっているようです(よくわかりませんが)。

 藤原鎌足の子孫がこの付近を新たに開拓して「蒲御厨(かばみくりや)」として伊勢神宮に寄進したので、当然、祭神はアマテラスさんです。

 全国各地にある「神明宮」はすべて伊勢神宮の内宮のアマテラス大神さんか、外宮の豊受大神さんのようです。

 神社の方向はまっすぐ南向きです。つまりボクたちは、真北向きに拝んでいます。神明軍の中には摂社(神社の中の神社)がいくつもあります。

  ☆

 この蒲神明宮が有名なのは、13世紀に鎌倉幕府ができる時、ここで育って「蒲冠者(かばのかじゃ)」「蒲殿(かばどの)と呼ばれた源範頼(のりより)さん、つまり源頼朝さんの弟が兄の呼び掛けに応えて、ここかラ出兵していったことです。正確には父の源義朝(よしとも)さんの六男で、頼朝さんや義経さんとは母親が違う異母弟になります。

 源平戦争で大きな役割を果たすのですが悲しいことに、源頼朝さんから謀反の疑いを掛けられて殺されてしまいます。平家に比べて、源氏の中は同じ一族で争いが多くて、それが北条家に幕府をのっとられる一因だったのでしょうか。

 悲しい主人公です。

 その範頼さんゆかりの桜が「蒲桜」で、今、ここへ里帰りして移植されたまだ小さい桜が咲いています。

 ところで、なぜここは「神立町(こうだちちょう)」なのでしょうか?アマテラスさんがここに降りたから?


本と映像の森 211 内田樹さん『ためらいの倫理学』角川文庫

2012年06月09日 10時43分39秒 | 本と映像の森

本と映像の森 211 内田樹さん『ためらいの倫理学 ー戦争・性・物語ー 』角川文庫、角川書店、2003年(平成15年)8月25日初版~2011年(平成23年)1月30日15版、373ページ、文庫版、定価629円+消費税

 内田さんは、「私は良くて、あなたは悪い」的な二元論立場を取らない。内田さんの語法で言うと「審問者」「検察官」にはなりたくない、もしくは「「勝ち負け」の語法、「停滞と乗り越え」の語法、「革命と反動」の語法、「健常と異常」の語法」は使いたくない、という立場です。

 世の中には「査定」されるのが好きな人もいる。そして「査定」するのが好きな人もいる。内田さんは、そういう「査定」は好きではない。ボクも好きではありません。

 内田さんは言います。「世の中を少しでも住み良くしてくれるのは、「自分は間違っているかも知れない」と考えることのできる知性であって、「私は正しい」ことを証明できる知性ではない」(p146)。

 内田さんは「正義の人はきらいである」。それは「正しい」というのは大きな間違いで、ボクもそれはきらいです。

 「正義の人はきらいである、というのは正しい」と言ってしまうと、ボクは「正義の人」と同レベルになってしまいます。内田さんは、そういう「正義」か不正義かではなく、別の尺度・別の角度で物事を見ようと提案しています。ボクも、その方が好きです。

 つまり、正しいか正しくないかではなくて、好きかきらいか、で感覚的にものごとをとらえることです、

 内田さんが重視するのは、たとえば「ねじれ」「いたたまれなさ」、あるいは「無意味なものは無意味なものと」する、ということでしょうか。

 他にも、おもしろい論点をいっぱい提供してくれる、いい本です。まずは、買って読んでも損はないと思います。

 この本を読むと、ボクはかなり生きやすくなりました。あなたはどうですか?


雨宮日記 6月7日(木) NHK「オウム特集」から菊池さん・高橋さん

2012年06月08日 05時45分20秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 6月7日(木) NHK「オウム特集」から菊池さんの逮捕・高橋さんの追跡について

 6日夜に、NHKテレビの「未解決事件ファイル№2 オウム真理教」の3回にわたる放映録画をいっきょに、則子さんと一緒に見ました。

 弟子の暴走という説のあったオウム武装化について、番組は麻原さんの説教テープ700本と、元女性幹部の内部からの証言、じょうゆうさん(「ああ言えばこう言う、こう言えば上祐」と言う、あの上祐さん)など元幹部の手紙や証言、警察幹部の聞き取りなどから、事態をリアルに追っています。

 番組は、戦慄する出来で、たくさんの方に見てもらいたいと思いました。ぜひ、本にもして欲しい。

 サリンなどのオウム武装化は、教祖の麻原さんが元々計画したことで、出家信徒たちの意識では、それは偶然、突然死した信者を秘密に火葬して埋葬したこと、翌年には教祖に反対して脱会しようとした幹部信者(前年の志望信者を秘密火葬したのにかかわった)を「ポア」という名の殺害して秘密に火葬したこと。それがきっかけのようです。

 生物学者・福岡伸一さんの本で「内部の内部は外部」という話があって、つまり人体で言うと口から肛門に至る消化管は、人間にとっては内部にあるようにみえるけど、内部の内部へ入り込んだ外部です。

 つまり一つの組織の内部に異質な「内部」ができて、それを「消滅」させることは、一つの組織でその外部を消滅させることに等しいです。

 一つの組織の仲間を「異質分子」あるいは「反抗者」あるいは「スパイ」として処理(殺す)することができるようになれば、もうその組織は外部の反対者を平気で処理することができるようになります。

 内部の仲間でも処理したのですから、外部の最初からの異質分子を処理するのはもっと簡単です。

 上祐さんの告白が印象的でした。上祐さんは、麻原さんから「ポアする側になるか、ポアされる側になるか」脅迫されて、警察に駆け込む勇気がなくて、初期の「サリンプラント」の責任者を村井さんに交代するまで務めたのです。

 ☆

 そして菊池さんの逮捕と、高橋さんの逃亡を追う、マスコミの報道を聞いて考えたこと。とにかくオウム逃走幹部は極悪人なのだ、そういう偏見からすると、逃走中の菊池さんや高橋さんの人間像とオウム凶悪犯とのズレ・乖離が顕著ですね。マスコミは気づいていないようです。

 そして、どうでもいいような高橋さんが電車の駅のカメラに写っていないとか、アホかと思います。

 二人とも、まるで一般人のように静かに暮らしていたとびっくりしていますが、オウム幹部は一般人とは大違いの凶悪な悪魔のような人間だという、重大な誤認ですね。そうすれば自分たちは違うんだ、という安心感が得られるからでしょうか。やはりマスコミも含めて日本社会のかなりの部分が、おかしくなっていると思います。

 ☆

 菊池さんも去年、実は警察に、似た人がいると通報があったのに、警察はとりあげなかったようです。警察の動脈硬化というか、「事件にならなければ取り上げない」失態が目立ちます。このことは、NHKテレビのオウム特集でも同じような問題がすでにあったように思います。松本サリン事件以後、長野県警と神奈川県警で松本サリン事件はオウム真理教が起こしたという原料ルートの証拠が捜査で見つかっていたのに、警視庁はついに決断ができずに、地下鉄サリン事件を起こしてしまいました。

 DVでも、まとわりつき犯でも凶悪事件が起こらないと動かない警察、松本サリン事件のような凶悪事件が起きても動かない警察。何かがおかしいですね。

 

 


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 6月6日(水)14時08分、0.049μSv/h

2012年06月07日 06時26分39秒 | 雨宮日誌

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 6月6日(水)14時08分、晴れ/くもり、風少し強い、0.049μSv/h

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.053 μSv/h 
  最大値 0.058 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.047 μSv/h 
  最大値 0.054 μSv/h 
  最小値 0.038 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.049 μSv/h 
  最大値 0.058 μSv/h 
  最小値 0.038 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:雨宮


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 6月4日(月)16時23分、0.049μSv/h

2012年06月07日 06時23分53秒 | 雨宮日誌

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 6月4日(月)16時23分、うすくもり、微風、0.049μSv/h

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.049 μSv/h 
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.047 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.049 μSv/h 
  最大値 0.053 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.049 μSv/h 
  最大値 0.053 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:雨宮智彦


遠州の遺跡・寺社・地名 76 中区船越町の八柱神社

2012年06月07日 06時02分05秒 | 雨宮日誌

遠州の遺跡・寺社・地名 76 中区船越町の八柱神社(2012年6月6日(水)訪問)

 船越小学校の東を南北(すこし斜め)に走る道路の向かいにあります。ほぼ南向きですが、道路が北北東から南南西ぐらいへ偏しているのと、参道が途中で方向をずれているので、微妙な神社です。

 祭られている神さまは、スサノオさんとその息子の八神さんたちです。つまり確かに出雲系ですね。同時に新羅系かも知れないということは、今のところわかりません。

 「八王子神社」も意味は同じようです。以前に下記の記事を書いたことを思い出しました。

 遠州の遺跡・寺社 54 西区・八王子神社 2011年10月13日 05時14分33秒

 静岡圏神社庁のHPを検索すると、「八柱神社」は現在の浜松市内に「17社」あります。

 「八柱」「八王子」の8人の個人名は誰なのでしょうか。時間があれば考察したいですね。

  ☆

 宇佐八幡や源氏とも関係する「八幡さま」、読みは「はちまんさま」「やわた」も数字の「8」ですね。出雲系の「八柱」と源氏の「八幡」とは、同じ8で、関係アルのでしょうか?

 東日本の源氏が「8」なら、西日本の平氏は数字で「  」でしょうか?

 

 


雨宮日記 6月6日(水)朝 今日午前は「金星の太陽面経過」なのですが曇ってます…

2012年06月06日 05時53分06秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 6月6日(水)朝 今日午前は「金星の太陽面経過」なのですが曇ってます…

 日本全国で、100何年ぶりの「金星の太陽面経過」なのですが、浜松では台風3号が南方海上を伊豆諸島に接近しているので曇っていて、太陽が今は見えません。

 今日はだめかな?

 雨は昨日の12時前に振ってからずっと、降っていないので、もしかしたら午前中、太陽と金星が見えるかも知れません。

 太陽の直径に対して金星の直径は3%ですから、100分の3、日食グラスを買った方は、むだにせずに、もし太陽が顔を見せたら、見ましょう。