駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

葵タワーの進捗状況

2009年06月09日 09時00分00秒 | 再開発
▽紺屋町(こうやまち)の再開発ビル(葵タワー)が最上階(25階)まで鉄骨が組みあがった.
来年4月完工予定なので当然の進捗状況ではあるが・・・(6月6日)




▽4月22日の時点では


▽3月18日の時点では



もっと過去の写真はこちら



にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へ

静岡駅前バス停

2009年06月09日 08時30分00秒 | 電車・バス


中央のマスコミなどからは「いつ閉港してもおかしくない」と揶揄される静岡空港

その静岡空港行きの“しずてつジャストライン”のバス
地方空港のなかにはバスも通わぬ空港が珍しくないらしいので、バスが通うだけまだましかもしれない(笑)。

もっとも、県西部の拠点である浜松駅から直行のバスはない(浜松西インターで乗換が必要)
これは、もともと遠州鉄道は中部国際空港指向なので当然かもしれない。

遠鉄の本音は、お付き合いで仕方なくといったところなのであろう。
(県東部拠点の三島・沼津からは設定すらされない。)

余談ながら“カモメのマーク”は、しずてつ相良(さがら)営業所



4月から全面的にバス乗り場が変更になった静岡駅前

大浜方面行きは駅から最も遠い200mほど先の御幸通りに設けられ、さすがに苦情殺到だったのか
わずか2カ月で再び変更を告げるバス。

“シカのマーク”は、当然小鹿(おしか)営業所。

路面温度低減舗装

2009年06月08日 08時15分29秒 | 街かどのメヌエット
 

路面温度低減舗装という舗装方法があるらしいです。
実際かなり効果があるようで
この表示板の実際の普通舗装と低減舗装の温度の表示では
9度近くの差があります。

この説明では明確に分からないのですが
説明の範囲から察するに歩道にかぎられるようです。

大変けっこうなことなのですが
表示方にアピールしようという姿勢がちょいと足りないような気がします。
(もともと業者仕様のものを転用したのかもしれませんが)

今後増やす予定があるのかどうなのか
現段階では実験段階に過ぎないのかそのあたりの説明もありません。

それに「路面温度低減舗装」という名称は
あまりにもお役所的説明調の名前です。
もう一工夫ほしいところです。


 ←静岡駅前広場の一部に施行されている


 ←40.9度と27.2度を指す温度計

新静岡ターミナル・その後(5)

2009年06月07日 05時50分00秒 | 新静岡ターミナル

北街道側から見た撤去工事中の新静岡ターミナルビルです。
塀で囲まれているので
内部の様子は定かではありません。




こちらは5月29日に裏側から撮ったものです。
時計台や屋上にあったクーリングタワーなど撤去されているようですが
まだまだビルの原型を保っています。




2枚目の写真からそれほど時間が経っていない6月6日に
ほぼ同じ場所からとったものです。
こういう撤去工事はいったん進みはじめると
進捗が著しいようです。




さらに、横のサンローゼビルから撮ったものです。
ビル外壁の面影はなく
南側の増築された部分の鉄骨がむき出しになっています。
更地になってしまうのも、もうすぐかも知れません。

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 静岡情報へ

北安東村(きたあんどうむら)

2009年06月05日 05時07分01秒 | 駿府のバラード
現在、県立静岡城北高等学校や県立総合病院がある地域は「北安東(きたあんどう)」という地名です。
(行政町名としては北安東一丁目~北安東五丁目の5か町。)

この北安東という地名は
安東の北にあるから北安東だと思っていらっしゃる方が多いでしょう。

それはある程度正しいとも言えますが
完全に理解していることにはならないかもしれません。

というのは
 その昔
(1889年に市町村制度ができる以前)
 「北安東村」と「南安東村
(現在の太田町・東町・音羽町・春日町・栄町・森下町・八幡一丁目・南町・泉町などの地域)」があり
そのうち南安東村は豊田村の一部となり
北安東村は大岩村と合併した際、南安東村が既に消滅していたためか単に「安東村」となったからです。


あらためて記すと次のとおりです。
~~~~~~~~~~~~~~
1889年4月1日
「北安東村(安倍郡)」 + 「大岩村(安倍郡)」  →  『安東村(安倍郡)』
 「南安東村(安倍郡)」 + 「 豊田地域(有渡郡)」 → 『豊田村(有渡郡)』 1896年安倍郡に

=正確には
柚木村、長沼村、古庄村、国吉田村、聖一色村、栗原村、
曲金村、八幡村、有東村、小黒村、小鹿村、池田村
~~~~~~~~~~~~~~


つまり
現在一般に安東方面と認識されている地域は、もともとは全域が「北安東」でした。

したがって、考えようによっては
 現在の「北安東◯丁目」という地域は、北安東村当時の北安東という地名が改称されずに残った地域とも言えます。

(現在の城東町の一部なども戦前は北安東であった。)

こういうことを知っていると
現在の安東一丁目、二丁目の一部が
 かつて「北安東町
(きたあんどうちょう)」という町名で
「北安東」という町とは別個に併存していたことなども
 納得がいくことでしょう。



 ↑ 静岡県情報の人気ランキング 

▽ 旧北安東村は現在の町名で言うとおおむね
 安東一・二・三丁目、北安東一・二・三・四・五丁目、城北
(丁目なし)、城北二丁目、長谷町、安東柳町、城東町(一部)を包括する地域。
(余談ながら「城北一丁目」という町はありません。住居表示施行の際、地元の理解を得られなかった住居表示実施の失敗例だと思われます。)

▽ 住居表示実施前の町名は(細部は省略)
現『安東一丁目』= (旧)安東一丁目、(旧)安東二丁目、安東本町、北安東町の一部
現『安東二丁目』= (旧)安東三丁目、北安東町の大部分
現『安東三丁目』= 北安東(番地表示)
 現『北安東一・五丁目』=北安東
(番地表示)、上足洗の一部
 現『北安東二・三・四丁目』=北安東
(番地表示)
現『城北二丁目』= 北安東(番地表示)から城北(丁目なしで番地表示)を経て


清水尻(しみんじり)

2009年06月03日 12時00分00秒 | 駿府のバラード
静岡駅前(北口)の現在の町名は
「※紺屋町(こうやまち)」「御幸町(みゆきちょう)」などですが
江戸期にはこのあたりは駿府の市中ではなく
「安倍郡南安東村(あべぐん・みなみあんどうむら)」でした。

明治以後、南安東村はいったん豊田村に吸収されてから
静岡市へ合併されているので
南安東村当時の地名が明確に分かる資料は少ないようです。

また、南安東村が豊田村に吸収合併されたことで
「南安東」が大字となったため
南安東村当時の大字が小字扱いとなり
さらにその下位区分の小字は、公式には使われなくなってしまったようです。
(個人的見解です。)



ところで、こちらのお店の所在地は
現在の行政町名で言うと、葵区御幸町9番地の3(住居表示は未実施)なのですが
暖簾(のれん)には「※駿府・清水尻」と染め抜いてあります。

「清水尻」は「しみんじり」と読みます。
そのまま読めば「しみずじり」となりますが
静岡式音便で「しみずのしり」→「しみずんしり」→「しみんじり」となったのだと
考えられます。(本当のところは分かりませんが)

清水尻は、小梳神社(おぐしじんじゃ)の湧水がこのあたりまで川となって
染み込んでいたことから名付けられた小字のようです。

南安東村は豊田村と合併し南安東村清水尻が豊田村南安東、
静岡市に合併の際(1908年か?)静岡市南安東となり
さらに1915年、この辺りは紺屋町、下八幡町、宝泰寺門前町などに分割吸収され
清水尻は、地名としては完全に消滅してしまったようです。

1930年には御幸通りが開通し
1945年に御幸通り沿いは御幸町となり現在に至っています。

以上想像半分で書き込んでしまったのですが
もしかしたら、このお店の方とお話をして
上記の内容よりもっと正確な情報を
持っている方がいらっしゃるかもしれませんね。

いずれにしても、南安東村当時の小字が
このような形で守られているのは希有な例かもしれません。


※1
紺屋町というと、現在は静岡駅から延びる呉服町に通じる道沿いを
想像することが多いかもしれませんが、
元々は駅前から延びる通りとは直角に交わる
現在の中島屋グランドホテルの玄関前の道沿いが紺屋町でした。

※2
「駿府・清水尻」という表現は、
駿府時代は市中でなかったのでおかしいと言う方もいらっしゃるかもしれませんが
1889年以前は現在のような市町村制度がなかった時代ですので
現在の感覚の厳密な市町村境の区分はなかったと考えるべきでしょう。


▽ 静岡中心街誌(静岡市立図書館蔵)掲載の地図

▽ かつては「清水尻のお灸」として有名だったという鈴木たばこ店

 ↑ 静岡県情報の人気ランキング



ほたるのつどい

2009年06月01日 06時39分49秒 | 街かどのメヌエット
▽パンフの説明によると、中島と長田の浄化センターで育った幼虫を1月に放流したようだ。



昨夕(5月31日)、駿府公園内の紅葉山庭園(もみじやまていえん)
「ほたるの集い(つどい)」が開かれました。

物好きな人が100人くらいは来るのかなと
たかをくくって
開始時間から15分ほど過ぎた午後7時45分ごろ
駿府公園に行ったのですが
それは大きな誤算でした。

すでに庭園の入り口から数百メートルの列と
なって北門橋の附近まで並んでいました。

これでは終了時刻の午後9時までに
入れるのかと思われるほどでしたが
それでも8時半ごろには会場内に入れましたが・・・
(入り口でいただいたパンフの番号に1098とあったが、多分1098人目の入場ということだろう)

肝心なホタルですが
さすがに何十匹(なんじっぴき)も乱舞するほどではなく
十数メートルほどの区間にところどころに確認できるといった程度なのですが
今の時代、街中でホタルが見られるのは
やはり非常に貴重な体験には違いないでしょう。

きょう(6月1日)、あす(2日)も
午後7時半から9時まで開催されています。

なお、本来は有料の施設ですが
この催しには無料で入場できます。



やっと会場の入り口までたどりついた。


ホタルは撮影禁止ということなので庭園内のハナショウブを・・・
(花びらの中心に近いところが黄色なのでハナショウブに間違いないでしょう)