説明会では以下のような説明を受けた。イースター島は歴史的にはスペイン、ペルー今はチリの支配下にあり人種的には様々で、文化的にはポリネシアとラテンの融合が見られる。街には公共の交通機関はない。陽射しが強いので日除対策とスコールもありうるので雨具の用意を。動植物検疫の規制で船から野菜、果物、食肉は持ち出せない。物価は高い。モアイには触らない。(小学校の入り口)
先生達は「島を訪れる観光客はたくさんいても、学校に来てくれる日本人はいなかった」と、学校を挙げて歓迎してくれた。そこでは小学生から中、高生クラスのダンスが披露されたが、南米、南太平洋諸島を通して似ていたのは男性は力強く、女性は腰を強く振って踊るスペイン風のダンスだった。(ダンスを踊ってくれた中学生)
子供達との交流というので小さな土産を用意していたのだが、あやとりは現地の伝統的な遊びなのか小学生が「あやとり」をしながら踊っていた。折り紙、紙風船、習字には痛く興味を示した。恥ずかしがりやなのか反応は今一つといった感もあった。(女の子が手にしているのはあや取りの糸)
その後モアイを製造した丘陵に行った。大小色々。完成品や未完成品、傾いだもの、倒れたものや埋まったものがアッチにもコッチにもあり、1つ1つを現地の人が解説し、通訳が私達に伝えた。時の権力者が権力誇示のため次々と作らせたらしいが、ここで製造されたものをどうやって運搬したのか。しかも全島のアチコチに。モアイの下に樹木を敷いて引っ張り転がした。そのため樹木がなくなったという説が有力のようだった。(この大きさのモアイがゴロゴロと言っていいほど立っていた。眼下は太平洋)
もう一つ面白かったのは、この島だけではないが島では土産物屋が客が移動する方へ後追いで移動することだった。注意深く観察すると前どこかで見た顔とソチコチで出会うという恰好だった。(聳え立つモアイ像。赤シャツの青年は日秘混血でスペイン語の通訳。日本語の方が怪しかった)