術後の眼科通院も2週間に一度になった。目薬の種類も一日の回数も減った。なんとか以前のレベルに近い生活が維持できそうだ。このブログでも思いがけなく暖かいコメントを寄せていただき皆さまには感謝である。しかしこの世には視力を失って生まれてくる子供たちがかなり存在することを思えば、私がこれしきのことで一喜一憂していてはならないという気になる。
家人が海外旅行に出たので二か月ばかりの私の独居生活が始まった。物のよく分かった知人から「独り身の気楽さを楽しんでください」とのメールが届いた。思いがけなくもありがたい機会に恵まれたと感謝している。おおいに気分刷新ができそうだ。妻を亡くして久しい知人は「炊事洗濯掃除に追いまくられて大変だぞ」と私の浮かれた気分に水をかけた。
ところで最近になって孤独死とか無縁社会とか絆とかいう話題がよく取り上げられている。しかしこの現象は戦後の日本人が追い求めてきたことの当然の帰結ではなかろうか。経済の発展の過程で日本は農業中心から産業中心へと向かい、若者たちは自由を求めて、村を出て都市を目指した。まちがいなく私もその一人である。現在の独居生活を続けている中で「自由には孤立がともなう」と考えたりしている。
早朝に目覚めると散歩に出ることが多くなった。5時半から一時間をかけて玉川上水から野火止用水の雑木林を歩き、6時半にラジオ体操となれば順調な滑り出しだ。この時期の東京地方は4時半にはすっかり明るい。冷蔵庫に詰まっている冷凍食品の一掃も楽しみだ。魚類の粕漬け、かなりの量の自家製のハンバーグと餃子は貴重な夕食の一品だ。具を入れない味噌汁を冷蔵庫で保存し、日替わりの具で夕食の味噌汁を作る。旅立った人の遺言は、トマトのわき芽を摘むこと、冷蔵庫の沖縄の「豆腐よう」には手をつけないことだった。