6月7日付けで正式な離婚が成立した。後になって元夫から手渡された文書は分厚く、双方の弁護士同士が当事者の話し合いに基づいて作成したものだ。そこには子供の養育権や財産の分与、その他の懸案事項が仔細に記載されている。契約社会の国だから尚更の事。米国では離婚そのものは困難ではないが、そこに至る迄の、弁護士とのコンサルタント料や書類作成料が高額で長引く程高額になるらしい。チケットを予約していたとはいえ、当初私はそんな微妙な時期に訪米したくなかった。日本流に言えばどの顔して彼に会えばいいのとの思いが強かったのだ。「気遣いは全く不要。普通にしてればいいの。当事者以外は関係ない事だから」と娘はいともアッサリ言う。
私と孫娘との対面は到着3日目だった。元夫が夏休み入りした子供達を実家(車で6時間)に連れ帰っていたからだ。その日私と娘はさる用があって出かけ帰りが遅くなってしまった。孫達は自宅(夫が残る)に連れ帰って寝せてあり、どの顔して会おうと思案する私に、彼も運転で疲れて寝ているからいいと言い置き、寝入っている2人を娘は2階のベッドから事も無げに抱っこして車に移した。孫達はなされるままに目覚めもせずアパートのベッドに移された。事の始終を見ながら私の心中は言い様もなかったことは察していただけよう。
当然のこと乍私は離婚騒動の顛末を日々聞かされた。娘が万全でないことは承知の上でも、ここに至らざるを得なかったことは容易に予測できたし、むしろ私はより積極的に賛成してもいた。その話に引き戻されると終わった事はこれ以上モウ聞きたくない。今後に活かそうと私は遮った。久々に独身に戻り、大変な反面気楽になった娘は元来の楽天ぶりを発揮している。どちらかと言えばカナリ厳しい母親の前で見せるその姿を、私は半眼で見ることにしてキバレ(頑張れ)!と応援している