わからない。分らない。今まで私は何をやってきていたのだろう?。この解らなさは何だ?。断続的ながら、細々ながら何年も私は「英語(会話を含め)学習をやって来た筈の積り」であった。日本では発語には困難を覚えたけれど、聞く方は何とか聞ける筈であった。。。のにそれがこの始末。孫達が家庭内で交わす2人間の会話(娘が言ってた通り、ほぼ全部英語)すらたまにヤット耳に留まる程度なのだ。自ら選び取った道とはいえ困難な状況にある娘が、私の思う程私の困窮をおもんばかれれないのは、私の英語能力に対する過信があるに違いない。
これまでも訪米の度に異なる空港に着陸する必要があり、しかもそこには必ず彼女らが待ち構えおり、以後私は従っていれば良かった。それが今回は今までと違う。彼女はシングルマザーという立場なのだ。自分のことで余計な負担を掛けてはいけないという私の覚悟もあった。だから駅から地下鉄直行で最終駅に着けば、会社から迎えに行くという彼女の言に従ったのだ。聞き返されながらの問い掛けに言葉を返されても私の耳には止まらず通過するのみ。スピードが早過ぎ、私の耳は置いてけぼりを食う。重量オーバーのタグを貼られた重いケースと共に移動が始まったばかりの私のアトランタ生活は、ショッパナで頼みとする手帳をチケット売り場の片隅に置き忘れて始まった。それでも空港職員に「空港に着いた。これから地下鉄に乗る」旨の電話を娘に入れてもらっていた後で良かった。パスポートでなくて良かったと胸をなでおろした。
地下鉄の最終駅に降りた私は20分待って娘に拾われた。ヤットの思いで着いた私の胸中はそれはないだろうだった。そこでこそ私は待ち構えられていると勝手にアテにしていたのだから。それから15ー6分。アパートに着いた。引っ越したばかりとは聞かされていたけれど、食卓といくらかの食器類、子供の衣類以外はダンボールの中であった。今までと違い飛行機疲れは少なくホットしていた私は、これから娘とこれらの荷解きが始まるとその積りになっていた。すると娘曰く「これから会社へ戻るわ!休んどいて!」だった。一瞬ポカンとしながらそう!と言い、ダンボールを除けて寝る気も起こらず、ボツボツと一人でソチラの荷解きを始めた。帰宅した娘曰く「日本人の上司に貴女も凄いけれど、お母さんも凄いのねと言われたわ」と必死の私と、楽天家だからこそこの国でやっていける娘とのしばしの道行きが始まった。