玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

初めて一人で街に出る

2012年06月25日 | アトランタ便り

 アパートの近くにバス停があると前もって聞かされていた。今回初めてアトランタ空港から地下鉄を利用したが、未だかって一人でバス等を使い移動した経験はなかった。訪米4回目になる今回「初めて交通機関を使い一人で街に出てみたい」と念願していた。滞米20目。やっと保育から解放され勇を決して街へ出た。それも一悶着があって後実現したのだった。

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 サテその一悶着とは。ある日車中から「停留所はあそこよ」と娘が言う。夜になって交わした会話はこうだ。「何というバス停?」「知らないわ乗ったことがないケド、駅に向かうバスに乗ればいいの」「その駅がどちらかが解らないわ」「小学校の前から乗り、運転手に聞けばいい。2、5弗らしいよ」「本当に現金でいいの?コインの見分けもつかないのに」「そう これが2、5弗」と手渡された。耐え続けていた私は娘を詰った。「自分で乗ったこともないバスに、言葉も通じない私を乗せるなんて無謀じゃない?私は必死の思いでやって来て、当初から大事な手帳を既に失っているの。本来なら自分の経験のためにも私を連れて手本を示すべきじゃない?」と言って初めて娘は私の困窮に気づいたか。翌日駅迄私を車に乗せプリペイド式のカードを求め、こうするんだとケロリという。当日になって言われたとおり何とか迷いつつも出かけたが、着いた先はもう一つ先の駅でマタマタそこで私はウロツイタ。事の顛末を臨時の携帯で報告すると、帰りは最寄の駅でピックアップしてくれその日は無事終了した。

 肝腎の街に繰り出す記はここから展開したのでもあった。兎も角駅に辿り着き、上記の報告を勤務先の娘にしおいた。それが黒人の女子学生の耳に届いていた様で、車内で日本語ですねと話しかけて来た。「私は大学で2年日本語を学びました。日本語を話せるハーフの友達が卒業して話せなくなりました。私はこれから街に行きます」と英語、日本語半々で話し掛けて来たので、私もその更に半々でどうやら問答して幸運にも同行相成ったのだった。目のキラキラと輝いた女子学生と広ーい公園(前回一回来たことがあっ)を大股で歩いた。今日本語に加えて韓国語も学んでいる。韓国語の方が難しいと言っていた。朝、孫の食べ残しのオレンジを3切れ食べだけで、ランチ処ではなかった私は喉は乾いたが、ろくに聞き取れない英語で聞いた上で、今度は日本語で話してと言う風にヤリトリして時間一杯過ごしたのだった。チケットは一週間有効で最終日が今日である。幸いに今日はベビーシッター役を免れたので、もう一回出かけてみようか。今日こそランチにありつけるといいケレド。

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