玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*近況

2012年06月17日 | 捨て猫の独り言

 この時期の玉川上水の散策で目につく木々は、ムラサキシキブ、マユミ、ネズミモチ、ピラカンサなどである。これらが実をつける秋のスガタカタチには注視してきたけれど、現在の華やかな花の時期のことはうかつにもこれまで見逃してきた。それに気付いた今年は、これらの木々に新鮮な印象を受けるようになった。草花ではアジサイ、ホタルブクロ、キキョウ、オカトラノオ、オオマツヨイグサなどの花が開いている。人の一生と異なり植物は四季折々の変化を見せて一年サイクルで存在していることに改めて気付いた。

 4月の下旬にゴーヤ3本、5月の初旬にキュウリ3本、ナス2本、トマト4本の苗を植えた。6月に入りこれまでに順々にキュウリ6個を収穫した。採りたてのキュウリはちくちくと手を刺す突起がある。ナスは初期に葉の虫食いが起きてそれを放置したにもかかわらず2個の収穫がありまだ期待できそうである。ミニトマトは実をつけながら普通のトマトの3倍ぐらいの高さまで伸びている。ゴーヤは一階の窓の高さを超えたが緑のカーテンとなり収穫できるのはまだまだ先のことである。その前にユリが咲いて梅雨が明ける。

 木曜午後に津田塾大学の公開講座がある。4月19日の初回のあと4回は欠席し、5月31日の第6回から再び顔を出してみた。一般の参加者は正門の受付で氏名を記入することになっている。会場に向かう途中の中庭の奥に小さな池がある。池には簡単な噴水があり、池のすぐ後には噴水を見下ろすようにミロのビーナスの彫像が置かれている。よく晴れた日に構内を闊歩する溢れんばかりの学生の群れに出会うと、光りの世界に巻き込まれたかのように錯覚する。そしてそのつぎの瞬間に君たちと私のこれまでに過ごしてきた時間の量の大いなる差を痛感する。

 講座のテーマは「常識」である。第6回の講師は「週刊金曜日」編集委員の雨宮処凛(かりん)氏で、津田塾准教授との対話形式で進行した。途中で学生の私語が多く准教授が対話を中断して注意する一幕もあった。第7回は「プロ教師の会」代表、元高校教師の諏訪哲二氏、先日の第8回は物理学者で環境経済学者の槌田敦氏だった。今回の槌田氏の「CO2温暖化脅威説は世紀の暴論」という主張には説得力があった。温暖化の原因は水蒸気であるというのだ。多くの人がなぜCO2温暖化を信じてしまったのか。私が興味を持つべきテーマの一つとなった。

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*自由と孤立

2012年06月11日 | 捨て猫の独り言

 術後の眼科通院も2週間に一度になった。目薬の種類も一日の回数も減った。なんとか以前のレベルに近い生活が維持できそうだ。このブログでも思いがけなく暖かいコメントを寄せていただき皆さまには感謝である。しかしこの世には視力を失って生まれてくる子供たちがかなり存在することを思えば、私がこれしきのことで一喜一憂していてはならないという気になる。

 家人が海外旅行に出たので二か月ばかりの私の独居生活が始まった。物のよく分かった知人から「独り身の気楽さを楽しんでください」とのメールが届いた。思いがけなくもありがたい機会に恵まれたと感謝している。おおいに気分刷新ができそうだ。妻を亡くして久しい知人は「炊事洗濯掃除に追いまくられて大変だぞ」と私の浮かれた気分に水をかけた。

 ところで最近になって孤独死とか無縁社会とか絆とかいう話題がよく取り上げられている。しかしこの現象は戦後の日本人が追い求めてきたことの当然の帰結ではなかろうか。経済の発展の過程で日本は農業中心から産業中心へと向かい、若者たちは自由を求めて、村を出て都市を目指した。まちがいなく私もその一人である。現在の独居生活を続けている中で「自由には孤立がともなう」と考えたりしている。

 早朝に目覚めると散歩に出ることが多くなった。5時半から一時間をかけて玉川上水から野火止用水の雑木林を歩き、6時半にラジオ体操となれば順調な滑り出しだ。この時期の東京地方は4時半にはすっかり明るい。冷蔵庫に詰まっている冷凍食品の一掃も楽しみだ。魚類の粕漬け、かなりの量の自家製のハンバーグと餃子は貴重な夕食の一品だ。具を入れない味噌汁を冷蔵庫で保存し、日替わりの具で夕食の味噌汁を作る。旅立った人の遺言は、トマトのわき芽を摘むこと、冷蔵庫の沖縄の「豆腐よう」には手をつけないことだった。

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*はやくも水無月

2012年06月05日 | 捨て猫の独り言

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 目の手術は5月15日と決定し、4月27日に入院手続きを済ませた。手続きの翌日のことである、昨年と同じ場所にニガウリの苗をこれまた昨年と同じ本数だけ植えた。今ではその苗は大人の背の高さほどに育ち、ネットに触手をからませてさらに伸びようとしている。週に一度の5月の公民館囲碁は最初の3回を欠席し、術後の1回は一局だけ打って早退した。二十四節気は4月20日が穀雨、5月5日が立夏、21日が小満である。節気毎の玉川上水観察会に欠席することはなかった。

 入院は3泊4日だ。6人部屋でなく2人部屋だ。6人の方が暮らしやすいと思うのだが、おとなしく割り当てに従う。病名は「眼内レンズ亜脱臼」、手術内容は「眼内レンズ逢着術・硝子体茎顕微鏡下離断術」と病室のベッドで受け取った入院診療計画書には記されていた。眼科には女性医師が多い。普段の私を診ているのも女性医師だ。今回私の手術を担当するのは眼科部長である男性医師である。彼の説明によると私の場合は何千人に一人という珍しいケースで、体質によるとしか説明の仕様がなく、なぜか男性に多く見られるという。

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 血管部分に触れるために白内障手術にくらべて網膜剥離などのリスクが高い。手術時間は白内障の時は10分ほどだが今回は90分を予定している。麻酔も目薬でなく注射になる。現在のレンズを活かして1回の手術で終わらせたいが、ひとまず異物であるレンズを摘出して3カ月後に新しいレンズを装着する再手術もあり得る。どちらになるかは手術中に私が判断するとの宣告だった。後者の場合には3ヶ月間の見え具合はどうなるのかと問うと、焦点が合わなくなるというだけで具体的な話はない。私は手探りの不自由な生活を想像した。

 手術はその日の一番最後の手術であるらしく夕刻に行われた。肌寒い手術室に車椅子で運び込まれる。自分でも驚くほど終始冷静でいられた。呼吸が早くなることもなく、終わって最後に深呼吸した。白内障の手術の時には明るく流れる液体が実際に見え続けていたが、今回は強力な麻酔のため全く明かりを感じることができなかった。暗闇の中で南の国の大海原で仰向けに漂う自分を思い描いていた。なぜかそのように思うと実際には見えていないはずだが、白内障手術の時のように水の中の明るい光が見えてきた。私は何の不安を感じることもなく南の海を漂い続けていた。手術は無事に終了し、とりあえず3カ月後の再手術は避けられた。ご心配をおかけいたしました。(写真は小平の小川寺)

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