jazz and freedom and avenger

JAZZを聴きながら勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

KEITH JARRETT / LIFE BETWEEN THE EXIT SIGNS & SOMEWHERE BEFORE

2019-08-30 | ジャズ・p

 

ロイド・グループが丸三年を待たず解散した理由は当時、ツアー疲れとか内部分裂とかアバウトな情報しかなかったけれど、後年、具体的な話が流れた。「堕落している」とキースとディジョネットが反旗を翻し、更にギャラの配分に異議を唱えたとか、かなりきな臭い内幕が暴露されたが、この手の情報は流し元の主観がかなり強いので、そっくりそのまま受けとるわけには行かないけれど、余りにも爆発的な人気に問題点が先送りされた結果には違いない。

気になるのが二人が言う「堕落」という意味だが、ロック寄りの演奏を指しているのだろうか?その後、二人ともマイルスのバンドに参加しているのでそうではなさそうですが良く解らない。

当時、ロイド・ミュージックの魅力に自分の感性が追い付けなかった層は少なくなく、「機を見るに敏ないかさま商人」なんて罵声を浴びせた評論家も出る始末で、「このバンドはキースで持っているようなものだ!」という人達も多かった。ま、短期間で解散した結果、「後付け論法」がまかり通ったのだろう。長い隠遁生活から復帰し、ECMに秀作を発表すると「実はロイドは良く解らないのです(笑)」と自分の耳を誤魔化す評論家も現れた。

キースが在団中、アトランティクのサブ・レーベル 、VORTEXに吹き込んだ作品を。

3枚レコーディングしており、2枚目はどうでもいい作品なのでパスして、初リーダー作と3枚目を。

ちょっと意地悪だけど、ボスに「あんたは堕落している」と、ちくれるほどの内容があるのだろうか?と(笑)

まず” LIFE BETWEEN THE EXIT SIGNS ”

ライナーノーツでキースは「音楽を言葉で表すことなんてナンセンスで、聴く人が感ずるもの以上でもないし、それ以下でもない」と新人にしては小難しい事を述べている。7才でソロ・コンサートを開き、その後、プロとして演奏していた天才ならではですね。

全体に初リーダー作らしく「楚々」とした空気が感じ取れるが、ゴスペル・タッチ、バラード、前衛風、実験的なものまで「何でも出来まっせ」という才のひけらかしが垣間見えるのが惜しい。また、オリジナルを7曲も披露しているがちょっと・・・・・・・

及第点レベルはクリアはしているものの、やや期待外れかな。

 

”SOMEWHERE BEFORE”

改めて聴き直したがリアルタイムで聴きた時と変わらず、ロイド・グループでみせたあの才気溢れるプレイは何処へ行ってしまったのか。後になってボブ・ディランの‘My Back Pages’が人気を博しているが、どこがいいのか、さっぱり解らない。ここでもいろいろなスタイルで演奏しているが空回りしている。人はロイドは大したこと事なく、キースのpが聴きものと言うが、それは全く逆でロイドなきキースは凡の域に近く、ライブでこうした演奏をするのは、語弊が有るやもしれないが、エゴぽさを感じます。聴衆の反応も気のせいか今一つ。

児山紀芳氏(当時SJ誌編集長)のレヴュー(69年)にもこう記されている。「キースはメロディを大切に、しかもリズムに変化を求めてあがいているが、このLPの彼は聴き手に何も与えない」と。

キースと決別した罪深いレコードで、”TALES OF ANOTHER / G・PEACOCK”(ECM 1977年)まで自分の視界にキースは居なかった。 

 

 

キースがリーダーだったら聴かなかったかもしれない。現代アートのカヴァで手を出しにくけれど見事な一枚。

 


LIVE AT CAFE DES COPAINS / STANLEY COWELL

2019-02-17 | ジャズ・p

 

カウエルは1941年生まれでハンコック、コリアと同世代にも拘わらず、初レコーディングがM・ブラウンの”WHY NOT”(ESP 1966年)とニュージャズ畑だったため、名の浸透に後れを取ったけれど、A・ベイツにその資質を認められリーダー作”BLUES FOR THE VIETCONG”、”BRILLIANT CIRCLES”を吹き込み、また、C・トリヴァーと組んだ「MUSIC INC」が人気を博し、漸く「次代を担う逸材」として認知される存在に。

しかし、自主レーベル「ストラタ・イースト」の運営について起きたごたごたに創作意欲を削がれたのか、ロリンズ、ペッパー、ゲッツ等々のサイドの道を選び、その後、あまりパッとしなくなった。

このアルバムは忘れかけそうになった頃、たまたま見つけたもので、1985年、生まれ故郷トレドでのソロ・ライブもの。FM放送?も前提としてレコード化されたもので、ロケーションを考慮してマチュアなプレイに終始している。「ESP」出身とは誰も想像出来ないだろう。

 

 

こちらは1975年に録音された”REGENERATION”。当時、トレンドでもあったアフリカの民族音楽にアプローチしたもので、スピリチュアル・ジャズとも言われるけど、よう分かりません。この作品を聴くと、そもそもカウエルは良い悪いは兎も角、メジャー志向が希薄だったのでは、と思える。

 

 

 

 

 

A・ペッパー・グループに在団中、”WINTER MOON”の翌日に録音された”ONE SEPTEMBER AFTERNOON”。メンバーは同じでストリングスを外したコンボ・スタイルの作品。ペッパーは好調さを維持していて、あまり表に出てこないアルバムですがなかなかの好盤。

その昔、些細なことがきっかけで評論家の間でペッパーの「前期 vs 後期」論争が勃発した。「復帰後」のペッパーを認めないと強硬主張する辛口評論家と日頃から快く思っていなかった復帰後の後期擁護家(派)が衝突したお家騒動(笑)ですね。両者の論点にずれがある為、不毛の論争に終わったが、失礼ながらなかなか面白かった。「ずれ」とは「(レコード上の)演奏クオリティ 対 人間味を重視したトータルの演奏内容」だったと記憶する。一人のミュージシャンを期間を分けるのは如何なものかと思いますが、後期派は前期も認めている点が前期派と異なる。

このレコードのB-2に入っているカウエルのオリジナル”Goodbye Again”を聴いてみよう。一つのヒントになるかも。

 

 

もし、過去に辛い別れ、そして深い傷を負っていたとしたら、込み上げる感情に果たして耐えられるだろうか。哀しみの度合いによっては慟哭するかもしれない。ペッパーのアルトはまるで人知れず心の奥底にずっと抑え込んでいたものを容赦なく抉り出すように響く。ヤクにより天才的な閃きは奪われたが、その代わり絶望を味わい地獄の淵から這い上がった者にだけ許される一種の魔力を以て、聴く人に「感動、感銘」を与えるミュージシャンになった。

恐らく、ペッパーは「この曲はオレを全面に演らせてくれ」とカウエルに願ったのだろう。こんなプレイをしてくれたらカウエルも作曲者冥利に尽きるというもの。

 

ちょうど10年前の2009年1月28日、名古屋の覚王山にある老舗ライブ・ハウス‘STAR EYES’にC・トリヴァーのビッグ・バンドがやって来た。総勢16名の中に”WHY NOT”とトリヴァーの”THE RINGER”のプレイにぞっこん惚れ込んだカウエルの姿が。

卓越した品格あるピアノさばきにかっての「逸材」の面影は些かも消えていなかった。


ふらふらっと、 あっ・・・・・・・ LORRAINE GELLER

2019-01-29 | ジャズ・p

大した金額にならなかったが、レコード処分で小銭が入った。

引出しの奥から出てきた封筒の中に・・・・・・・・なんて感じで、ついふらふらっと円盤屋へ。

 

オリジナル盤は遥か彼方、手も足も出ない一枚が。昔から好きなアルバム。

以前、相場では諭吉が20枚と言われたけど、やはり15枚が。国内再発盤も置いてあり、そのギャップは100倍。

 

 

所有する国内再発盤の音は悪い方ではないけれど、何となくオリジナル・マスターからではなくディスク・ダビングのような気が・・・・・・・、 叶わぬ夢かもしれないが一度、オリジナルで聴いてみたい。

女性ならではの柔らかなタッチ、細やかなフレージング、何よりもスイング感溢れる明晰なプレイ、そしてこの眼差しにグッと引き付けられる。100倍の差がちっとも不思議ではないと、思わせる一枚。 

もともと発売予定のないデモ用の音源で、追悼盤としてDotからリリースされたものとか、意外ですね。最近まで知りませんでした。

 

 

 

J・ヒースの代表作と定評ある渋好みの作品。

 

 

左が国内盤(カヴァはMono盤仕様なのに中身はStereo盤)、右がオリジナルStereo盤。

エサ箱にあったのは左の国内盤と思いますが、諭吉一枚越えを。見間違いかな? この2枚、妙なことに国内盤の方が「音」が良く、リリースが一回限り(1974年)なのでちょっとレア扱いがプラスαとなったかもしれない。でも、やっぱり一桁見間違いかな~、それともオリジナルMONO盤だったのだろうか? ま、いいや。

RIVESIDEではD・バードとH・ハンコック(4曲)の参加が珍しく、バードが良い味を出し、ハンコックのツボを外さないプレイも聴きものですね。

 

 

 

結局、手ぶらで帰ることになりましたが、迷ったレコードが 一枚・・・・・・・・どうしよう。


ONE FOR ONE / ANDREW HILL

2018-10-31 | ジャズ・p

 

RE-ISSUEシリーズで陽の目を見たBN未発表2枚組。

3つのセッションから成り、

一つはフロントをB・モウピン、P・パトリック、C・トリヴァー の3管編制のSEXTETによる3曲(1970.1.16&23)、2つ目はモウピンが入ったQuartetにString Quartetをプラスした3曲(1969.8.1)、そしてF・ハバード、J・ヘンダーソンの2管QuintetのLP一枚分の5曲(1965.2.10)

一枚目の1、2と二枚目の3の間、4、5年間のHILLの変わり様が本作の聴き所でしょうか。

分かり易く言えば、語弊があるやもしれませんが軟化している。1.ではあの特異な強い個性が薄れ、リズムに乗りスムーズに流れている。勿論、俗化している意味ではないけれど、当時のジャズ・シーンの変化をHILLと雖も無視出来なくなったと、容易に推測できる。しかしながら、HILLの本質はそれほど変わっているようには思えず、内装・外装が上手く嚙み合っていないのでは?また、突如ストレート・アヘッドな3曲目に違和感を覚えてしまう。

それから、String Quartetをプラスした3曲、こうした実験的試みに対するHILLのイマジネーション不足が浮き彫りになり、どれを聴いても途中から同じように聴こえてしまうのが残念。

 

 

ハバード、ヘンダーソンとのセッション、

ヒルと二人は別々に録音しているが、意外にもこの二人は初顔合わせ、しかも2管でLPフルサイズもの(BN)は本作のみと貴重です。

1965年と言えば、内容はおおよそ見当は付きますね。この時期、サイドとしてハバードはフリー色を一番発揮しており、彼に刺激されフリーぽい曲を含め、早い話、3人の「ガチンコ勝負」です。

このセッションはリアル・タイムでリリースされても良かったのでは? 世に出た1975年ではジャズの潮目はすっかり変わってしまっていたので。

お蔵入りの原因を探ると、リリース・ローテーションの犠牲の可能性が強いけれど、ひょっとして2曲目のトリオによる”ERATO”かな?ちょっと「甘過ぎ」で、折角のテンションが途切れるほど浮いている。

少々、ネガティブなコメントになりましたが、60年代のジャズの急流に翻弄された?魅力あるジャズ・ピアニスト。

なお、1.2はF・ウルフ、3はA・ライオンがプロデュースしている。


Daysにて ・・・・・・・ PORTRAIT OF AN ARTIST /JOE ALBANY

2018-09-22 | ジャズ・p

 

この手のレコードの宿命なんだろうか、安レコ・コーナーで。

帰り道、Daysに寄った。

何処かに紛れ込んだようで見当たらず、この救出盤に針を。

「幻の名盤読本」に載っている”PROTO-BOPPER”(REVELATION・72年)から受ける「病んだ」、「危ない」ピアニストというイメージ(自分だけかも)とかけ離れたpが流れ出し、情景を思い浮かべながら一音一音、実に細やかに描写していく”Autmun In New York”に虚を衝かれた。淡彩画風だが奥行きがしっかり付いている。

A面のバラード演奏3曲が終わりマスターと二人で「いいね!」と周波数はピッタリ。

いつの間にかマスターの手元に初リーダー作のRIVERSIDE盤(1957年、見たことがない別カヴァ)やREVELATION盤、STEEPLECHASE盤などオーバニーのリーダー作が数枚、用意されていた。

そこで自分が未聴のSTEEPLECHASEのヨーロッパでのライヴ盤(73年)、ペデルセンとのデュオ盤(74年)との聴き比べを始めた。

この二枚、本アルバム(1982年)とは別人のように強いタッチでpを弾いている。パーカーも認める実力があるにもかかわらず悪習、悪癖による長いブランク、不遇時代を経て71年に復帰し、レコーディングの機会も増えた喜びの表れなのでしょう。

それから10年、すっかり穏やかでmatureに。

B面の”They Say It's Wonderful”の軽いスイング感、”Too Late Now”の沈み込むような情感も聴きもの。この”PORTRAIT OF AN ARTIST ”はオーバニー流バラード集ですね。

カヴァ通りの内容で本来ならば「安レコ・コーナー」に投げ入れられる類のレコードではありません。

浅学で間違っているかもしれませんが、本作がリーダー・ラスト作。

1988年没、享年64。

 

マイナーな J・オーバニーのレコードを聴き比べ、マスターと語り合えるジャズ喫茶、そうは無いでしょう。

 


硬派・辛口 ピアノ・・・・・・・ HORACE TAPSCOTT

2018-09-08 | ジャズ・p

本題に入る前に ・・・・・・・

これが何だか分かりますか?

 

もう少し分かり易くすると・・・・・・・ 直ぐわかる方は相当なマニアですね。

 

オーディオ・ショップにぶらっと寄った際に見つけたもの。空きコンセントにほこりが入らないように差し込み、同時に振動を抑え、放出される電磁波を表面に張ってある吸収材で消滅させるキャップです。まるでオカルトのような世界ですが、ちゃんと商品化されているところが凄い、感心しました。英世一枚だったので試しに。

こんな感じで壁コン2ヶ所、電源BOX2ヶ所に取り付けた。 

 

 

確かに変わります。クリーンさが増しますが、ソースによってはややソリッド感が顔を出てくるので薬にも毒にもなりますね。しばらくこのまま様子を見ることにします。

 

そこで本題です。

「埋もれた巨人」、「目覚めた巨人」と紹介されるケースが多いH・タプスコット(p)を3枚。

まずデビュー作、タイトルもずばり”THE GIANT IS AWAKENED”(1969年録音)

西海岸では演奏者だけでなく、作・編曲家、活動家、理論家として指導者的な立場にあってけれど、アメリカ全土ではあまり知られていなく(勿論、わが国でも)、B・シールがフライング・ダッチマン・レーベルを設立した際、「巨人発掘」という形で世に出した作品。当時、かなり話題になりました。

セシル・テイラーにも通ずるパーカッシブで硬質のタプスコットのpを機軸に、ダブル・ベースとドラムス、そしてコルトレーン・ライクなブライスのスピリチュアルなasががっちりとモダンジャズの枠組みの中で絡み合い、タプスコットの強烈な個性が前面に打ち出された快作。

このカヴァの左端に写っているのが、後年、ロフト・ジャズを経てメジャー入り(コロンビア)を果たしたA・ブライスです。 

 

フライング・ダッチマンでの録音は何故か1枚だけに終わり、暫く彼の名を見ることがなく、10年ほど経って見つけた作品が”IN NEW YORK”(INTERPLAY・1979年録音)。

プロデューサーの妙中氏は、「ここまま埋もれさせてはいかん!」との思いからでしょうか、ニューヨークに出向きA・DAVIS(b)、R・HAYNES(ds)という一流NY派と組んだトリオもの。意気に感じたタプスコットはやや気負い過ぎの面もあるけれど、正攻法で全力を出し切った緩みのないプレイを展開している。ただ、この人、エンディングが上手くないのが惜しいですね。

 

 

翌1980年、今度はハリウッドで気心が知れたメンバーで吹き込んだ”AUTUMN COLORS"。

同じ妙中氏がプロデュースしている。”IN NEW YORK”と異なる味付けに工夫がされているが、もともと器用さは持ち合わせていないタプスコットだけに真摯なプレイは変わりないけれど、逆に中途半端な感じが否めない。

なお、この国内BOPLAND盤がオリジナル・イシューです。

 

 

  

他にアルバムはかなり有りますが、残念ながら手が回っていない。

偶にはこうした硬派、辛口作品を聴く機会があってもいい。ピリっと・・・・・・・・


MONKの響き ・・・・・・・・・・ SOMETHING IN BLUE

2018-07-11 | ジャズ・p

「記録的大雨」の最中、親類が亡くなった。

長良川の上流に行こうにも高速、国道は通行止めになり近づけず、葬儀に行くのは無理と覚悟したが、奇跡的にお通夜の一時間前に国道の通行止めが解除されギリギリ間に合い、翌日の本葬も無事に。

かなり前から、ゴルフへ行く道路際や庭の樹木、雑草の伸びが例年と比べ早く、ちょっとした異変を感じていましたが、まさか・・・・・・

 

 

もうかれこれ20数年以上、牢屋(カプセル・キーパー)に入れたままのAT33EとDL103の救出を。

折角なので気分転換を兼ねてシェルを交換。用意したのはオーディオ・クラフトとFR。

 

 

クラフトはダブル・ピンと上下二つのツメでパーフェクト・ロック出来、リード線も直付けのタイプ、FRはロゴ・マークが利いているちょつと懐かしいタイプで端子もまだ金メッキになっていない。

組み合わせは見た目と収まり具合で。

 

 

AT33Eはベスト・セラー、DL103はロング・セラーとして国産を代表する名器ですね。さすがちゃんと音が出ました。

AT33Eはパッと視界が開けた感じで見通しが良く、本体に似て高域に輝きを持ちやや派手目、一方、DL103はある意味で正反対で落ち着きあるしっかりした音ですね。

何枚かテスト盤を流した後、選んだ一枚は、

 

 

コロンビアと契約が決まった際、小躍りして喜んだモンクの第一作目。タイトルがメジャー昇格の夢が叶った事をダイレクトに伝えている。

モンクの独自性とメジャーの意向?に沿った大衆性が次元を落とすことなく融合している。意向を汲み過ぎとの批判もありますが、イメージと異なりモンクは「大人」、しかも「素直」ですね。

 

ただ、気になる点が、

全体の音は一聴、骨太ながらソロ2曲はともかくカルテットのモンクのpの音に今一つ、ジャズ史上における彼の存在位置に相応しい厚み、重みが感じられない。音の密度が薄いなぁ~

二ッ目と黒字のSTEREO 360 SOUND、矢印ナシは初版盤と思いますが・・・・・・・、ま、それよりお前のシステムの問題と一笑されそうですね。

 

 

モンクの音で大好きな一枚がこちら。

オフィシャルのラスト録音盤と言われている。

 

 

欧州遠征を嫌がるモンクをブレイキーが熱心に説得して実現した作品(1971年11月15日、 ロンドン)。

素晴らしいpの響きですね、勿論、演奏も最高。我々はブレイキーに感謝してもしきれません。

 

 

 

誰も褒めないけれど、それでいい。ひっそりと聴く一枚が有ってもいいではないか。

同日に収録されたもう一枚"THE MAN I LOVE”(ポリドール盤)は未入手のまま、急がねば・・・・・・・・・ 


ANDREW HILL / BLACK FIRE & SMOKE STACK

2018-06-29 | ジャズ・p

 

そう簡単に気持ち良くスイングさせないぜ、と言わんばかりのHILL。

躓かされたり、けたぐられたり、或いは下りの坂道によくある居眠り防止装置、時にはオフ・ロードを運転させられているような、そんなピアノのイメージが・・・・・・・。

ただ、BNでサイドとしての初セッション、OUR THING / JOE HENDERSON”(1963.9.9)や2回目のセッション、”NO ROOM FOR SQUARES / HANK MOBLEY”(1963.10.3)を聴く限り、タイム感覚に多少の特異性を感ずるもののちゃんとスイングしている。それどころか、”NO ROOM FOR SQUARES / HANK MOBLEY”での“Carolyn”とタイトル曲では神秘性に富んだ素晴らしいソロを聴かせている。

だから、自分の中ではDB誌で最高の五つ星を獲得したHILLのBN初リーダー作、僅か一月後の”BLACK FIRE"(1963.11.8)となかなか結び付かない。

確かに演奏レベルは高いと思う、けれどもライオンの期待の現れとも言える造り込み感もそれ以上に強い。どこまでHILLの本心なのか?とさえ・・・・・

好みの尺度で言うと、あまり好きではない。もう一つ理由はR・ヘインズのds、この人は手数、おかずが多く、しかもパターン化され意外に引き出しの数が少なく、出来、不出来の差が激しいとの評判も。背後でちょっとゴソゴソ五月蠅いですね。

 

かって音楽評論家・黒田恭一氏は本作を「おもしろくない、それより‵Compulsion’の方が素晴らしい!」と論評している。理由は分からないけれど、自分はオフ・ロードをオフ・ロード仕様の車で走るより、ノーマルな車で走っ方が非日常的でスリリング、と勝手に推測している(分ったような分からない低次元の表現ですが・・・・・)。

 

もう一枚、“SMOKE STACK”

これも僅か一月後(12.3)の録音された2ベース(E・KHANと同じR・DAVIS)のカルテット。dsも同じR・ヘインズ。

”NO ROOM FOR SQUARES / HANK MOBLEY”で意外?にも抜群の相性の良さを見せたフィリーをどうして起用しなかったのか?このセッションのHILLは本当に生き生きしているのに。

最近になって当初はフィリーの予定だったが都合が付かなくなり、ヘインズが急遽、代役になった話を知り長年の疑問が氷解しました。もし、予定通りに進んだならば、傑作が誕生した確率は極めて高かく惜しい!これも運命のいたずらなのかな。

但し、ヘインズのピンチヒッターは”BLACK FIRE”の時だった可能性の方が高いようです。 

因みに本作の発表は3年後の1966年になってから。

翌1964年1月8日録音のdsにE・ジョーンズが入った“JUDGEMENT”がリアル・タイムで先にリリースされている。


確信が ・・・・・・・ SOLAR / RED GARLAND

2018-05-09 | ジャズ・p

 

MONO仕様のカヴァに"STEREO”のシールがべったりと。しかも再発の"ORPHEUM"盤となれば心得のある方は、まず手を出さないでしょう。でも知識に乏しく懐具合も余裕が無かった時代、多少の懸念を持ちつつ手に入れた一枚。オリジナル(STEREO・ブラック、MONO・オレンジ)の半分以下だったと思う。

出てきた音に戸惑い、不思議な感覚に包まれた。それまで聴いていたPRESTIGEのガーランドの音色と全く違う。硬質でヴィヴィッド、それにL・スパンのg、flの音も実に生々しく、まるで眼の前で演奏しているかのようだ。S・JONESのbもCelloのような音色でギシギシさせている。そして、音がSPから直ぐ前に出てくるのではなく湧き上がるような音場だった。

エンジニアはR・FOWLER、録音の仕方がRVGと根本的に、また、良い悪いのでなく発想の次元が異なるのではないか、と思えた。兎に角、それまでの自分には異例尽くめの音だった。

 

 

ところが、リフォームで聴く部屋の場所、形、広さが変わったら、その湧き上がるような音場が出なくなってしまったのだ。

そこで新しく作った電源BOXで再現を試みた。最初はパワー・アンプ側に繋いだけれど、プリとフォノ・イコライザー側により良い手応えを感じたので、色々、差し替えて比較すると、SWO‐XXX ULTIMOの方が僅かに彫りの深さ、立体感に勝りこちらに決定。

 

 

SWO‐XXX ULTIMOの背面、他のコンセントと比べ、すごくシンプルですね。とても音質に優れたモデルです。

 

 

でも、まだ・・・・・・・・ 

そこで今度はカートリッジに目を付け、アントレー・EC-15XLimitedのリード線を他のカートに使っていたIKEDAの極太タイプに取り替えた。すると、期待以上の音が。

例えば、R・ノーブルの"The Very Thought Of You”での沈み込むような、それでいて真珠のような光沢感に包まれたガーランドのp、厚みを増したスパンのfl、そうザラにある音ではないけど・・・・・・・・

あの湧き上がるような音場は出て来ない。

 

 

 

この"ORPHEUM"盤の音の良さに確信は、まだまだ・・・・・・・・ 


EMPIRE 4000D/1で聴く ON ‛POWERTREE' / WYNTON KELLY

2018-01-28 | ジャズ・p

 

1968年8月4日、パワーツリー・レコードに吹き込まれた一枚。カヴァが絶頂期を思わせるなかなかGooなデルマーク・レーベルの国内盤。

トリオ盤ではオフィシャルのラスト・セッションとなっている。

僅か数年前はマイルスの黄金リズム・セクションと謳われたメンバーだが、時代の変遷は余りにも早い。

マイルスに「タバコに火を付けるマッチ」とまで言われた存在感も「ハード・バップ」というタバコ自体の衰退とともに徐々に・・・・・・・・

本作はケリーのオリジナルを3曲含めているが、些かポップ色のイメージが濃く、当時のケーリーの立ち位置を反映している。

 

このレコードを聴く際、カートリッジをEMPIRE 4000D/1に付け替える。面倒とは思わない。

ユニークな外観通り、音も個性的。解像度はそれほど高くないけれど、独特の低域の膨らみ、そして中~高域にかけての響き方が、他のカートとは一味も二味も違う。

その4000D/1のトーン・キャラが薄まりつつあるケリーの内面的密度を上手くサポートしてくれる。

 

 

ラストはビートルズ・ナンバー‵Yesterday’

まるで3年後の1971年4月12日の終着点に向かうホームストレッチを逆らうことなく「昨日、その前の昨日、そのまた前の昨日・・・・・・・」と昔日を日捲りしているかのように穏やかだ。

ただ、意図的なのか、収録時間によるものか、途中でフェード・アウトしている。意図的ならばアルバム制作側の感性は凄い。この作品は死後にリリースされている。

でも、一ファンとしてはFULLで聴きたいとも思う。

ジャズ・ピアニストで一番知られているのがピーターソン、一番人気があるのはエヴァンス、けれど、一番愛されているのはケリーだろう。

39歳は早すぎる。