公開国際会議で、同時通訳の人が「ペーパーと違う」と色めき立っていたことがありました。
原稿は厳正なものらしく、そのとおりに発言しないと問題のタネになることがままあるようです。
議会で、質問への回答原稿から目を離すことなく忠実に読み上げる、それが正確な答弁であるとされ、そのことを守っている限り謗られることはありません。
組織内の職としての回答は、応答ではならないのです。
ラジオの天気予報で、途中間違っているとも思えないところで「失礼しました」とアナウンスされることがあります。
言葉の順序が入れ替わり、原稿と違って読み上げると、それはファウルらしいのです。
当たりはずれがあたり前の天気予報で、言葉の順序ぐらい気にしなくてもと思うのですが、原稿と違っていたぞと、後からお小言があるのでしょうか。
さて、このときの「失礼しました」は誰に向かっての言葉だったのでしょう。
ラジオを聞いている人は、意味が変わらなければ、天気予報の言葉順など問題にしないでしょう。
ならばこの「失礼しました」は、原稿作成者へのエチケットの端くれとしか考えられません。
アナウンサーと原稿作成者との関係は、内部事情に過ぎないのになぜ。
そうでした、予報とは、その先に起こることへの想像を、知らせることだったのです。