人の集まったところで一言も喋らずに押し黙っている、お行儀の良い人がいらっしゃいます。
会議などでは、話題が気に入らなければ終始無言、心も動かさないという手もあります。
しかしそこが、舞台と観客席、あるいは講演・演説の壇上と聴講者集団で成り立つ場であれば、一方の心が動かなければその場の意味がなくなります。
この人の心を動かす雰囲気づくりには、舞台での脇役、壇上で一緒に話を聞いている人の、役割の大きさが、気付かれずにいる場合が案外多いものです。
脇役や壇上を共にする人が、そこで儀礼や理屈を考え始めると、どんな場にも何がしかは必要な楽しさはすっかり消え去り、壇上の人の心が動かず、周りを取り囲む人の心も動かないという錆び付いた雰囲気ができあがります。
論理は楽しさと背中合わせになりやすいものですが、それが同方向になったとき、論理展開はすばらしいものになるはずです。
むずかしいことではありますが、などといっているうちは、やはり背中は後ろ向きなのでしょう。