古典と呼ばれる作品には、そう言われ続けてきた底力があります。
今の世に居てそれを真似ようとしても、そうはいきません。
贋作がすぐばれるのは周知のことです。
古典は敬意の対象であって、敬意が愛着になられては作品のほうが迷惑をこうむります。
古典への愛着心はなぜ起きるのでしょうか。
それは、新しい考えを生み出す気力が失せてしまうことからではないかと気付きました。
昔お世話になった方が、W城の敷地の中に住み着くことを、どういうわけか許されていました。
そのときには、なぜそこに居られるのかなどと考えもしなかったのですが、いま思うとそれも不思議です。
そのおばあさんの口癖を、また思い出しました。
「古いもんの弱いとし、いそがし、いそがし」