どこにいても見張られていると思うか、どこにいても見守っていてくれると思うか、GPSや監視カメラをどう思うかは、人さまざまでしょう。
都合のよいことには便利だと思い、まずいことには厄介だと思う、場合によりけりとも言えます。
監視型社会という嫌な呼び方も、いずれ慣れてしまうと気にならなくなるでしょう。
しかし、監視しなければならない理由は、実生活上では、だらしないから、どこか抜けやすいからでしかありません。
間違いなさそうなことが一つあります。
こういうシステムが生活領域に深くかかわってくると、人間の能力が退化するということです。
洗濯も掃除も食事の支度も自動になって、もてあました時間はテレビやスマホでバカな仕草を見たりバカ話を喜び合ったり、歩く力も衰えて、そのあとは、書くのもはばかられます。