ごみは、やかましく分けろ別にしろと言う一方で、はっきりわかることを一緒くたに扱いたがるのは、どこかおかしい気がします。
人間の姿をしていても、人間らしくない人もいます。
人間のしわざとは言えないような、残虐なことを平然とやってみせるヒトは、はっきり差別して考えないと、それがひどいことと見られずに、「みな同じ」になってしまう惧れがあります。
いいえそんなことはと、多寡をくくっていると、次の世紀には人間が野獣に一歩近づいているに違いありません。
するはずがないことの一部始終を動画で放送する感覚が、すでにそちらに傾いている証拠です。
ものごとの区別なしに、差別は悪だなどと言っていると、取り出し口のなかなか見つからないセロテープのように、始末の悪ことになってしまいます。