ふだん人通りの少ないビル街の裏通りが、テントを構えたマーケットになっていました。
午後1時前、ぽつぽつと、訪れる人はいますが、ぶらぶら眺めながらという人は見あたりません。
3時間後、集会のあと同じ道を通ってみると、店の数は2割ぐらいに減って、それでもまだ決められた時間いっぱいはと、頑張っている人がいます。
それからはもう売れなくても、やるだけのことはやろう、最後のお客様はどういう人だったか、終わってからの話のタネにもなるだろう、これは通りすがりの者の勝手な想像で、残ったものを前に立つ人の思いは、それぞれ違うでしょう。
客の寄り付きやすいマーケットと、そうでないところは何が違うのかと、ふと思いました。
待ち構えられている店には寄りにくい、知らん顔をされても見る気がしない、通行人の気分はひととおりではありません。
店に立つ人の構えと、通る人の気分とのあいだに、ふわっと同じような空気がただよったとき、通行人はそこで客になり、ものの売れそうな場ができあがるのでしょう。
その勘所をつかみ損なえば、ものは売れ残ります。
勘どころのつかみかた、それは知識を寄せ集めてマニュアル化しても、実用にはなりません。
歩をゆるめずに見たことを思い出してみると、売れ残った店には、みな4~5人のひとが立って並び、品ものも同じものがべたっと並んで置かれていたのでした。