中学生が、近隣の店舗へ、仕事の体験に行くことがあります。
いわゆる「職場や就業に関わる体験活動」です。
文部科学省の「体験活動事例集」を見ると、このほかにもいろいろな体験学習が挙げられています。
数ある項目に「勤労生産に関わる体験活動」「交流に関わる体験活動」というのも別にあるのが、奇妙な感じもします。
事例の分類上での命名なのでしょうが、就業~職場~勤労~生産~交流は、つながりがあるどころか、ばらばらには考えられないことであるからです。
それはともかく、人と人の交流は、信用される人間を育てる上で、とてもだいじなことです。
いま、高校の授業が連休に入っています。
入試が行われれば、教室はある程度使えなくなります。
先生も、ある程度授業に時間をあてられなくなります。
しかし、入試がそう何日も続くとは思えないのですが、連休が長く、しかもその間学校が立ち入り禁止、交流遮断になっているのだそうです。
部外者の立ち入り禁止はわかりますが、生徒も、入試を挟んだある期間部外者と同じにされてしまうのは、信用されていないからでしょうか。
入試のときには、信用されない体験をさせているということになります。
信用されない体験をさせておいて、信用される人間を育てることはできないでしょう。
どこかから、現実をよく見よという声も聞こえてきそうです。
だがしかし、現実依存の積み重ねが、崇高であるはずの宗教さえねじ曲げてきているではないかと思うのですが、いかがでしょうか。