日本には社会が存在せず、伝統的に世間が存在したという論説があります。
この1行だけで、その説がどうこうとは言えませんが、社会は世間より上等なのかという珍問も生まれそうです。
広さを想像してみると、世間より社会は大きく、世界はもっと広く感じます。
世界、社会、世間と並べてみると、一つひとつ取り上げたときよりも、それぞれの持ち味のもやもやさが、いくらか薄れてくるように思います。
世間には「様」をつけて呼びますが、世界様、社会様とは言いません。
世間様に申し訳ないとは言いますが、世界、社会に申し訳ないとは言いません。
あまり品の良くない「目線」という言葉をしぶしぶ使ってみますが、世界とかグローバルという呼び方には上から目線が多く、世間という言葉は下から目線であることが多いようです。
世界にもなく、世間にもない、主義の名前にまでつけられた「社会」は、上から目線と下から目線のしのぎ合いの場でもあります。
世界、社会は、壊滅、崩壊がドラマの題材になり、それを本気になってやってみようとする狂人もいますが、世間が壊れることはありません。
世間様に向けられないような顔をぶらさげてN町に出入りする人が、いまだにときどき現れるのは、まことに困ったものです。
N町というところは、世間の空気が薄いのでしょうか。