デュアル思考にとらわれず、3段階でと構えてはみたものの、31回の3段跳びはいささかくたびれました。
ここまで来て気づきました。
構えとは、はたから見ての姿、言わば外見であって、意識してすることではないということです。
上段の構えを見ればバカにするなと言い、正眼の構えを見ればクソ真面目とののしり、下段の構えには油断大敵と遠のく、そんなふうに人の姿に構えを見たとき、構えだけを気にしはじめれば、対象を見極める目がかすみます。
他人の姿勢が何やらの構えに見えるときは、受容機能が衰退しつつあることには、気づきにくいものです。
姑の口うるささも、N町でよく話題になる任命のシクジリにも、構えにとらわれてのことが関わっているのかもしれません。