久しぶりに東京に出てみました。
浜松町から増上寺付近一帯では、噂に聞く雑旅集団に遇わずに済みました。
旅行者のお行儀にも上中下の3階層があるようです。
1~2人が上、旅行者の不行状は危険を招くことを承知しているなら、当然でしょう。
小グループが中、崩れ役とたしなめ役の力のバランスが、少人数のうちであればどうやら保たれます。
手をつけられないのが団体旅行者、これが最低でしょう。
これにはお行儀の「お」の字も付けられません。
日常の生活圏では、人数が増すほど締め付けが厳しくなるので、非日常の旅先ではその逆になり、気分が解放されるというより、放埓の状態になることは想像できます。
空港に舞い降りた瞬間、そこには内外の境目も、束縛と自由の境界も消えてなくなります。
自分と仲間との関係だけがかろうじて保たれていて、それ以外は人も物も持っているカネも、いっさいがバラバラ、エントロピーは無限に増大していきます。
生まれ育った環境がもたらす、自然の成り行きなのでしょう。
短時日の旅行者がそういうありさまなら、移民と名乗る難民が無数に押し寄せたときに、海に囲まれたこの国で何が起きるか、想像するのも嫌になります、くわばらくわばら。
ジンドーのひとことで簡単に片づけるわけにはいかないのです。