自明の理という慣用句があります。
それが当然のこと、わかりきったこと、ことさら証明も説明もいらないはずとされていることがらをさし示す言葉です。
ところが、あることがらについて、ある人はそれを自明の理であるとし、別の人は証明なり説明なりを求めたがる場合もあります。
証明か説明がうまくいけば、そのことがらはひとまず理解可能の領域に入ります。
次の機会には、自明の理の仲間入りができるかもしれません。
自明の理と理解可能領域との間は、往復容易で、はっきりした境界線も引かれていません。
証明も説明も、わからないふりをしてしまえば、対象になったことがらは、理解不能の領域に行ったままとなるでしょう。
そういうことが増えていけば、理解可能領域と、理解不能領域の間には、何千年も崩されない苔むした壁ができあがります。
壁の際に立つ人は、ときどき壁の向こう側を振り返りながら、壁を崩すどころか塗り固めるような素振りを見せます。
地球上でどこかの人びとが、わざわざ作った壁の向こうに押し込めてあるものを、引きずり出して自明の理に仕立てようと思っても、相当無理なことのように思うのですが・・・、たとえば世界○○など。
お題目は、自明の理の仲間入りはしていません。