『本質触れぬ野党、「加計ありき」を連呼 国会18連休で「充電」したはずなのに…』という、甘味の利いた記事見出しがありました。
「はずとフニャララ向こうから外れる」、これはときどきラジオで耳にしたセリフです。
外れるというのは、予想できた、あてがあった、望みをかけていた場合に起こりうる状態で、外れるものがあってこその話です。
国会をさぼって街頭に立つならまだしも、カラオケに行ってマイクを握っていた噂が立つようなヒトらに、「充電」などという思いはたぶんなかったでしょう。
「充電」にはエネルギーの源が必要です。
もともと何もないつぎはぎだらけの組み立て話のハコに、エネルギーが溜まっているハズがないではありませんか。