極楽寺坂を下ると長谷観音へ通じる裏道があります。
裏道の角に力餅の店があって、餅の名が権五郎力餅、鎌倉権五郎景正は、目に刺さった矢を抜いてやろうと、友の三浦為継が足で顔をお押さえつけたのを、倒れたまま刀を抜いて制したという豪傑です。
歌舞伎の暫でも、鎌倉権五郎景正のべらぼうに長い刀が目立ちます。
刀から思い出すのは、刀は打たなかった「村の鍛冶屋」の歌です。
「村の鍛冶屋」
しばしも止まずに 槌打つ響
飛び散る火の花 はしる湯玉
ふいごの風さへ 息をもつがず
仕事に精出す 村の鍛冶屋
息をつぐ、息をつく、似た言葉ですが、息をつくのは、していたことに一区切りついたときのことで、鍛冶屋のふいごが仕事の最中に息をつくことなどありえませんから、ここは息をも"つがず"でなければ打っている刃物ができそこないます。
それを"つかず"と覚えていたのは、何となく発音しやすかったから、それだけのことなのでしょう。