・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

錯覚時代:15 期待

2018年12月01日 | つぶやきの壺焼

「話せばわかる」 犬養毅が首相官邸を襲った青年将校に言った、よく知られた言葉です。
あとから駆けつけた頭に血が上った若者には、それは伝わりませんでした。

話し合いは、当事者が同じ方向の望みをもっていてこそ意味のあることで、ソッポを向いた者どうしでは話し合いではなく、言い合いにしかなりません。
いつかわかりあえる日が来るというのは錯覚です。
それがわかっていながら意識しての偽装錯覚は始末の悪いものです。

日本人同士でも通じないこともあるのに、一方が他方を憎まなければならないものと教え込まれ、それが社会生活の基本理念のようになってしまっていれば、話し合いのカタチを何度繰り返しても、話が収斂していくことはありません。

そんな相手に話し合いを続けるカタチは、誠意と名付けた頭巾のようなものでしかありません。
垢じみた頭巾をあまり長くかぶっていると、頭も腐ってきます。
期待とも名付けられたその頭巾は、脱ぎ去る時のことを考えておかなければならないでしょう。

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