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・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

錯覚時代:25 自由

2018年12月11日 | つぶやきの壺焼

この国で多くの人が、多分抱いているだろうと思える共通な錯覚があります。
自分は自由にものを言うことができているという思いです。

学校教育から始まって、世間の人々の考え、メディアから吹き込まれるニュース、勝手に作られドラマ、そういうものが積もりにつもって、皆が多分そう思っているだろうということが、そう思うわなければならないことに変わっていき、世の人々はそれに頭と心を縛られて暮らしています。

その縛り方は、普段の生活に差し支えるようなきついものではありません。
当たり障りのなさをだいじにするように、やんわりと締め付けられているのが、むしろ始末の悪いところです。

たとえば、12月8日という日の思い出しかたがあります。
それを知らない人も増えて、うっかり違うことを教えてしまう語りかけにもそれが現れます。
時の為政者の肝の据わり方、そこに至るまでの外交手段の拙劣さによって、戦争に引きずり込まれた日を、大悪事に手を染めてしまった日であると決めてしまっている、そんなことも縛られの代表例になるでしょう。

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