人は錯覚の渦の中で生きています。
人道、人権、人口と、人の字がつく言葉が錯覚の種になることもしばしばあります。
忘れてはならないこと、ないがしろにしてはならないこと、漸増がのぞまじいと思うことは、ものごとの判断基準の一部分です。
それが先頭に競りあがって、ほかのことには目もくれなくなっているとき、人は錯覚に陥っています。
人が錯覚を起こすことを利用して、詐欺を働いたり、論題をはぐらかしたり、偏った考えに導いたりという、誘導錯覚、ご都合錯覚は、良いことではありません。
ただ、誘導錯覚にも、罪のないマジックのように、人を楽しませるものもあります。
それもよく見れば錯覚とわかるものと、錯覚ではないのに錯覚に見えてしまうというややこしいものもあります。
ものの形ばかりでなく、色も違って見える錯視という現象もあります。
杉原厚吉教授によれば、錯覚は脳の正常な機能で、錯視があったからといって、脳を叱ってはならないそうです。