七つ星列車は、ゆっくり走るでしょう。そのほうが乗ることを楽しめます。
行き着くことが目的ではなく、乗ることにくつろぎを覚えようという走り方です。
元来の目的と逆位相のことが組み合わさって、混沌の世の中に合いそうです。
この乗車には、三割ぐらいの税金を取ってもよいのではありませんか。
一般の電鉄も、時間帯別の速度制御をしたらどうでしょう。
通勤通学時間には速く走らせ、空いている時間にはゆっくり走らせるのです。
料金の差は、普通料金と定期料金で、既に付いています。
七つ星列車は、ゆっくり走るでしょう。そのほうが乗ることを楽しめます。
行き着くことが目的ではなく、乗ることにくつろぎを覚えようという走り方です。
元来の目的と逆位相のことが組み合わさって、混沌の世の中に合いそうです。
この乗車には、三割ぐらいの税金を取ってもよいのではありませんか。
一般の電鉄も、時間帯別の速度制御をしたらどうでしょう。
通勤通学時間には速く走らせ、空いている時間にはゆっくり走らせるのです。
料金の差は、普通料金と定期料金で、既に付いています。
USAの人々は、自由であることが最高の理念であるといわれます。
別に痛みを感じなくても、自分の意思に沿わない制度で、束縛を受けるということを嫌うようです。
急に80万人が公務を拘束され自宅待機させられるという奇妙な制度は、決めるときには影響に気付かなかったのでしょうか。
同じものを二個組で売る、一つはプレゼント用に。
人間はペアを好むから、二個組は販売促進に効果があるらしい。
正副、双璧、諸手を上げて、二の力は大きい。
大きなものが二つ揃うと、シンボル感より目障り度のほうも強くなりそうである。
ニューヨークのあのツインタワーも、同時に二つとも壊されたのは、一つ残せばシンブル性が強くなり、犠牲が倍増しても両方壊さなければ壊す意味に逆効果が出てくることを嫌ったのかもしれない。
しかし、あれほどまでにして壊したかったのは、何が目障りだったのだろうか。
http://p.tl/zsFq
何が気に入らなかったのか、置き去りにされたクマが道端にいました。
クマは旅に出されたのかもしれません。
可愛い子には旅をさせよと、
おじいちゃんから聞いたことばを思い出したのでしょうか。
ここはいろいろな人が通るので、じっとしていても、旅に出たのと同じです。
日が暮れれば、波の音さえ聞こえてきて、夢も見られます。
「鉤」という字がある。この一字ではどう見ても「はり」とは読めない。
「コウ」「かぎ」ほかに「さぐる」という動詞があるそうだが、「はり」とは読まないだろう。
ところが頭に「毛」がつくと「けばり」になる。
「はり」も「針」も、真直ぐなものを想像する。
真直ぐな針では魚が引っかからないから、「けばり」に「毛鉤」を当てたのはわかる。
しかし、「つりばり」は、曲がっていても「釣り針」と書く。
「釣り針」は餌をつけて針の部分を見せなくし、「毛鉤」は自身を餌のように見せるという違いかと、変な理屈を思いつく。
だが、魚は字を読まない。
字は読まないが、形は読んで、その場所に棲む虫と形の違う毛鉤には飛びつこうとしないと聞いた。
それらしい形をしていれば何でも飛びつく人間よりも、魚の目は選択能力が優れているようである。
窮すれば通ず。
昔の人はうまいことを言った。
廃炉という無価値物件を、また資産として延命させる方法である。
いや、廃炉は無価値ではなく、負価値という価値が残っていたのだ。
資産であるうちは減価償却という費用勘定ができる。
費用ならば、電気料金の算定に組み入れることができる。
いったん価値を失いかけたものの耐用年数はどう決めるのだろうか。
ゼロはどんな数値で割っても不定としか答が出ないから、耐用年数は無限であるとするのか。
電気事業会計規則という省令があって、その改正手続きをすれば、法律に違反せずに負価値物件を資産とする仰天マジックをやってのけられる。
え、そんなことをするつもりなのかと、驚いてももう遅い。
10日前の吉日に、便利なこの規則はもう化け終わっている。
「第185回国会(臨時会)は平成25年10月15日に召集されます」と、のんきな国会会期情報が出ているが、KY国会で、半月前の既成事実を、問題にする先生がいらっしゃるだろうか。
列車が脱線するのは、走行中に車体が浮き上がったりせり上がったりしてしまうからです。
浮き上がり、せり上がりは、車体が軽いと起こりそうです。
列車を速く走り出せるように作れば、軽い車体が出来上がります。
軽くできていると、列車の一時待機など、ゆっくり移動すればよいところでも、早く片付けてしまおうと速く動かすでしょう。
われわれ素人には、車体を軽くしすぎたのが、そもそもの原因のように思えるのです。
異常状態を放置したと言われても、それが異常であると思っていなければ、すぐに手当てしようとは誰もしません。
基準さえ決めておけば、それが守られて事故は起きないと、とかく思い勝ちですが、基準の効き目はその重みに左右されます。
基準の重みとは、そこに書かれている文字の数ではありません。
その基準をどう読むか、基準と現場の実態をどう照らし合わせるか、照合結果を現場の保全にどう反映させるか、それを考えていく人の脳の働きの重みです。
車体も軽く、頭も軽く、速く、早く、それだけではまたいつかどこかで同じような脱線事故が起きるでしょう。
渦には不思議な力があります。
渦に巻き込まれると、浮いているものは渦の中心に向かって吸い込まれていきます。
下水道のごみを渦に巻き込んで、処理機のあるところへ連れ去る装置が使われています。
渦の作り方が巧くいけば、ごみ処理が容易になるというものです。
渦で思い出すのが、一升瓶で送られてきた酒を、わざわざ樽にあけていた、酒屋のおばさんの仕草です。
酒瓶の口を下に向けて、尻を二三度円く振るように回すと、ドボドボと出ていた瓶の中の酒がジャーっと一息に流れ出ます。
円く振るのは、瓶だけでなく自分のお尻も一緒でした。
なぜ樽にあけていたのか、ひそかにブレンドを試みていたのかとも考えましたが、昼間店頭で堂々とやっていたのです。
何十年も前のことなので、もうその理由は確かめられません。
下水の水流に渦を作る装置を「水面制御装置」と呼んでいますが、あれは水流制御ではないかという気もします。
名前は固有のものですから、異を唱えるのは「ごみ話」なのですが。
渦を水面でなく底のほうに作って、水流を制御できれば、核下水の処理に役立てることができそうです。
水底で渦を巻かせ、溶け込んだ核物質を集めて深い海溝に送り込む装置です。
それができれば、どのみち止められないものを、海水に流出などというマイナス報でなく、送達という通常報に言い換えることもできそうですが、いかがでしょうか。
古い形のものは、どこか懐かしさを覚える。
しかし、くもの巣が張っていては、近づけていく顔の動きにもブレーキがかかり、懐かしさも遠ざかる。
くもの巣を払えば、懐かしさも取り戻せるのに、なぜかそれをしたがらない。
くもの巣の張ったようなものを、そのままだいじにしておくのは、あまり姿を見られなくなったくもに、懐古感が移っているのだろうか。
XX主義と呼ばれるあのことにも、近頃はくもの巣が張って、肝心なところが見えにくくなってきている。
くもの巣を払えば、ものごともはっきり見えてくるのに、なぜかそれをしたがらない。
古く見えるくもの巣が、実はそこにあるものの中では、いちばん新しいのだった。
関西弁で反語「XXない」は「XXへん」と言うものと単純に思っていたが、「XXひん」との言い方もあって、「へん」と「ひん」に使い分けがあることに今頃気付いた。
それは、「落ちない」を「落ちひん」と二度続けて言った、対談サイトの女性の発言を聞いたときであった。
こう言うものだと知らしめる場合、「こうだよ」と言わずに二度言うのが効果的で嫌味がないことにも気づいた。
「XXひん」と言うのはどういう場合かと、自分でいろいろ言ってみると、「落ちない」「降りない」「浴びない」「伸びない」など、前の母音が「i」のときに「ひん」となっていることがわかった。
こういうのを母音調和というそうで、「i」の次は「へん」でなく「ひん」にしないと意味まで変わってしまうこともある。
⇒ http://p.tl/jJLs
「できない」は「できひん」となるのだが、「き」を「け」に変えると「でけへん」で同じ意味になるのも面白い。
しかし、これを漢字で書いたら読みにくいだろう。
「出来ひん」はそのまま読めるが、「出来へん」を「でけへん」と読ますのには教えこみが必要になる。
「出来」は「でけ」と読めないなどと、こんなところで理屈をこねる人も出てくるだろう。
生活習慣である「言葉」を、文法という解釈上の決めごとから考えようとする逆流学習法では、これを理解することは、多分でけへんやろ。
愛知県豊明市に前後町(ぜんごちょう)という町がある。
豊明は桶狭間の古戦場跡のある町で、前後という地名も由来をその戦の時代に置く説もある。
⇒ http://p.tl/Ogqf
ここは地名の話ではなく、福島原発1号機は津波の前にSBO(Station Black Out)が発生していたという説を聞いたことにある。
原子炉の制御が利かなくなったのは、制御用電源が止まってしまったから、そして補助電源の発電機が津波で使えなくなったからと、何度も聞かされてきた。
よく考えてみれば、津波は地震と一緒にはやってこない。
地震が先に起きて、その後に津波が襲ってくる。
よく聞き分ければすぐにおかしいと思うはずの、そんな簡単な順序に気付いていなかったのはどういうわけなのだろうか。
前後関係を落ち着いて聞き分ければ、発電機の置き場所などには関係なく原子炉は壊れていたという見境がついたはずなのである。
現代は、I T、TVと、とにかく情報が多すぎる。
前後関係にお構いなしに、みな自分に都合のよいことを伝える。
聞いているほうは、そこで話の交通整理をするひまはないから、話の塊りとして受け入れてしまう。
どさくさまぎれのウソ話も、3回5回と同じことを聞かされればホントのことのように頭に滲みつく。
真偽の聞き分けは、前後の見境によるところが多そうである。
洗面台の蛇口のしまり具合が悪くなったのでパッキンを取替えた。
水栓の頭の化粧板が、ねじ込みになっていると、はずす方法を見つけやすいのだが、この水栓は、化粧板がはめ込み式なので、薄い頭のドライバーでこじ開けなければならない。
化粧版をはずすとプラス頭のネジが見える。
外側ハンドル部は、このネジで止まっている。
さて、これをはずすのが大変だった。
ネジの中心線上の空間が開放状態で邪魔物がなければ、さび付いてないネジなら、ドライバーの選定を誤らない限り、まず簡単にはずすことができる
ところが、狭いところに備え付けにする器具には、デザイナーのスキマ対応感覚が、幅だけでなく奥行き方向にも、高さ方向にもと、三次元に働いている。
こういうもにには、どこかにむりやりデザインのしわ寄せが入り込んでいる。
この洗面台は、ミラーボックスの下の棚の部分と、水栓との間隔が85ミリしかない。
これだけ空いていれば、水栓をひねるのには何の差しさわりもない。
メンテは日常生活の一部でなく相互依存の適用範囲に属し、特殊な工具を取り揃えて持っている専門家の領分だとしてしまうと、こういうモノが出来上がる。
こんな場合を予想して柄のごく短いドライバーを持ってはいるが、それでも長さは115ミリある。
85ミリの空間では、斜めにあてがうことしかできない。
もう一つ短い柄をはめ込んで使うドライバーを持っていたので、そのプラスチック製の柄をのこぎりで切り取ってみたが、先端の寸法が小さいので力が入らない。
小さいドライバーで何度も回しそこなうと、頭の溝が壊れるというネジにとっては最悪の結果を招くのでさっさとあきらめる。
最後の手は、柄のないドライバーを使うこと。
85ミリドライバーには、差し替え用の先端金具がいくつか付いている。
この中からねじ頭に合いそうなものを選んでやってみることにした。
柄のないドライバーをネジ頭に押し付けておいて、プライヤーでねじってみる。
回った! やれやれ。
ドライバーには、柄が必要でないばかりか、邪魔になることもあったのだ。
不思議な看板に出会いました。
電車利用と pasmo で駐車料金が割引になる、パーク&ライド優待という見事なサービス・システムです。
電車で来た人が駐車場を使うにには、どうしたらよいのでしょうか。
映画「あなたへ」の舞台になった天空の城、現兵庫県朝来(あさご)市和田山町の竹田城。
城はそびえる場所に築かれる。
目立ってこその城、ひっそりあるのでは、城ではなく隠れ家である。
アラブの王様は、スペインに自分の城を建てて持っているという。
アラブでは、春は砂嵐で先が見えない日が多いそうだが、砂嵐の時季には西方の隠れ家に逃れるのだろうか。
富士山でもお金を取り、竹田城も今月から高校生以上1人300円の観覧料を取ることになった。
山も城も、その地に立てば、踏み込んだ人に姿は見えなくなる。
見えない人から登山料観覧料を取るのか。
この料金は何だろうと思ったら、空をもっと上から見るためのものだった。
ハエの入ったパンも、折角パンやさんが焼いてくれただいじな食べ物なのだから、ハエのないところだけ食べなさい。
これ、教育委員会のご指導のもと学校がとったハエパン対策。
パン屋さんのつぶれない方法はいくらでもあるのに。
仕事の仕方の教育まで頭が回らなかった。
ハエパンを生かすなら、どう思うか、どうしたらよいか、生徒に考えさせる討論の材料にするよい機会だったのに、それを逃した。
避難訓練のつもりにしても、ハエを取り除いて黙って食べなさいはないだろう。