気楽な籠妬軟如が、簡単に即全廃などと叫び回る材料としか、今は働きのなくなっているもの、言わずと知れた原子力発電設備です。
あの膨大な設備群に、もう少し気の利いた働きをさせる方法はないものでしょうか。
クルマや家電の新型を売るためには、リサイクル法という便利な法律まで作る智恵が、原発に向かって働かないのはなぜでしょう。
今のやり方では、廃止したところで、すぐ安心というわけではなく、廃炉という気の遠くなるような工程を経なければ、その場所を空地にしておくことさえできません。
我慢比べのような現場を抱える廃炉工程に、重層請負の収益源、失業率低下対策ということでしか公益性がないとすれば、これほど空虚な事業はありません。
廃炉にかかる費用で、今の設備を一歩すすんだものに変身させることを、原子力の権威者先生方は考えていないのでしょうか。
やっぱり壊れたでしょう、やはり危ないのがわかったでしょうなどと、研究室や講演会場でボソボソ話をしたところで、それだけのことで終わりです。
折角身につけた博識を、次の世代、将来の社会のために役立たせる、革新的な働きをしてこそ、科学者として歴史に名を刻むことができると思うのですが、いかがでしょうか。
廃炉でなく改炉という言葉に変えられるよう、技術再革新を望んでいます。