16から、18までの学び舎の、校是が、報本反始でありました。
万物の存在は、天に基づく。
人は、祖先に基づく。
その根本の恩に、感謝し、その功を讃える。
-礼記-
その本に報いて、始めに帰る。
ばか者の、若者の折には、なんともうっちゃって過ごしておりましたが、校是だけに、常に目に付き、耳にする言葉でございました。
運動部にいれば、試合のたびに旗が揺らめいていたものでございます。
いわんや、歳を重ね、浮世の波にもてあそばれておりますうちに、これがリフレインする場合がございます。
「私が学んだ筈の校是である。その精神は、へちまの皮ほどでも、私にとって芯となっておる筈である。しがみついてみようではないか。」
何度やり直したことでございましょう。
すべからく、これからも、やり直し続けることでございましょう。
私は想うのでございます。
しがみつける、詞、師、史、を持つことがどれほど助けになるかと。
シッシッシ。とおっぱらってはいけないのでございます。
精神が崩れない限り、人は人でおられるものでございましょう。
ばか者のときに身近に会うものの、功罪を想うのであります。