船場の親父が、難波は大和屋で、遊んでる姿、わたしゃ忘れもしません。
友人と呼ぶには、恐れ多すぎる齢八十に手も届こうかという酒が縁の今は親父の話を聞く。
人は様々なことを、胸に収めながらも可憐に役回りをこなすものだと、つくづく思う。
順番なのである。思いもよらず、おなじようなことを白沼についついついばんでしまうのも、いたしかたもない花道なのである。
息子よ。
説教をたれるほど、立派ではない。
こんな親父でも、自分に置き換えることはできる。
お前と同じ役回りを果しつつ生きてきた。
わしが、伝えられることは多くは無い。
泣くな。
人生が劇場であればこそ。