南海先生は生まれつき酒が大好き。
また政事を論ずることが大好きである。
酒をのむとなると、わずか1,2本のときは、気持ちよく酔っ払い、気分もふうわりと、宇宙を飛びまわるようで、見るもの聞くもの楽しくて、この世に憂いなどというものがあろうとは、つゆ思われない。
さらに2,3本のむと、精神がにわかに高まり、思想がしきりに沸き起こり、身は小部屋におりながら、眼は全世界を見通し、一瞬間に千年前にさかのぼり、千年後にまたがり、世界の進路を示し、社会の方針を教え、思うのは、「世間の政事的近眼者どもが、やみくもに羅針盤をにぎって船を操縦し、暗礁につきあたったり、浅瀬にのりあげたり、わが身にも他人にも禍をまねくのは、何ともお気の毒の至りである。」・・・。
さらにもう2,3本のむと、耳は鳴り、目は眩み、腕をふりまわし、足を踏み鳴らし、昂奮また昂奮、挙句の果てはひっくり返って前後不覚。2,3時間眠ったあと、酔いが覚めて正気にかえってみると、酔っ払って言ったこと、したことは、ケロリと忘れて、まるで狐つきが落ちたような具合である。・・・。
-中江兆民「三酔人経綸問答」より-
酔人のかたわれとして、してやったりの、しだし名文だとおもわれるのでございます。
酒のみに、本物もくそもないのではありますが、あれば本物。
南海先生。
酒のみの真骨頂、ここに至れり。