したたかながらもけなげさを感じさせるのは何故でしょう。
そうせざるをえない、そうでもならざるをえない、いっしょうけんめいさがあるからでしょうか。
したたかなだけでは、厭味になりやすいものです。
けなげなだけでも、もしかしたら誤解を受けることもあるでしょう。
生命にとって、生きるということこそが唯一無二の本題であります。
如何に生きるのかということにおいては、けなげにしたたかにしか有り様も無いのかもしれません。
活きる場所があるならば、いっしょけんめい。ということでございましょうや。
けなげなだけでもない。なにげにしたたかなのであります。
憐憫を誘うわけでも無い。保身の傲慢さも無い。
草魂のなんたるかに触れつつ思うことでございます。