一部のはねっかえりモンが、温和な人々を牛耳るビルマで、ナルギスなる風神が荒らぶり狂うた。
今では、近代化、効率化、自由化、開放という旗印の下、いびつなヒエラルキー構造ゆえに資本収奪主義を取り締まりきれないジレンマの国の、その昔、杜甫という偉大な詞い手を育んだ成都では、地に潜りし雷神が未曾有の怒りを振るわせた。
小生の住むここにおいても、すわ近畿!とひとたび揺れれば、驚異的な被害の試算が出ております。
先の阪神淡路に接した身としても、かの地の人々その辛苦・現状いくばくなりやと、思うことしきり。
杜甫の国ならず、わが国でも、公共施設の耐震補強は、めくそはなくその状況の地域も多いとも聞いております。
「公共施設」でございます。ぬくぬくとした人々が集う「高級施設」ではないのです。
ナルギスの怒りも杜甫の嘆きも、「高級施設」には届いてないように見受けられます。
災害の悲惨さは、社会構造の歪みゆえに、歪められた状況下の人々に対して程、もっとも凶暴に牙を剥くところが、悲惨なのであります。
官民一体となるのであれば、それこそ、軍事支配であったり、一党支配なのであるから、独裁的・強制的に「高級施設」を一切没収して、人民に開放すべきなのであります。
そのための軍政権や一党支配でなければ、少なくともイデオロギー的根拠なぞ、どこにありましょう。
存在理由そのものが、詭弁の可能性を強く感じるのでございます。
WFPももとより、世界的支援の手も、体制に阻まれるもどかしさよ。
バカモンが! 人あってこその国家であるぞよ。
体面を気にしたり、姑息な頭を悩ませてる場合かい!
ナルギスと杜甫のあいだを同じ視点でつなぐことは出来ないにしても、よくわからない現状では一つにくくれる。
つまりは、どちらをみていても、血圧が上がるのでございます。
小生、超自然現象的に物事をみる癖はござませんが、神をも恐れぬ冒涜者の跋扈ここ極まれり。をつないで見せてくれる天の意図なきにしもあらずや。と思うしだいでございます。
商売人にとって、お客様は神様。治世者にとって、人民は神様。神様が居なければ、己の役得そのものも存在し得えないはず。
神をも恐れない横着者達をあぶりだす為の、天からの啓示となるやもしれませぬ。
古くは飢饉をはじめ、天災は時に、人類の進歩を後押しする場合がございます。
馬鹿につける薬はないとは申すものの、天災を天災レベルでせめて抑える努力を、彼の地に残る、英邁なる人材にお願いしたいと、願うのでございます。
厄難除けの鐘馗様、切に願うのでございます。