むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、革新を主張する。
-魯迅-
総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。
ちょんまげ頭をたたいてみれば、因循姑息の音がする。
ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする。
とうことでありましょう。
それぞれに、あるポリティカルかつファッショナブルな気脈が通じていたはずでございます。
それぞれの、尊い人命の数々を人柱としながらも、それぞれのガス抜きが上手くいき日本は世界でも最も少ない代償で、近代革命を成就したといわれる。
雲助みたいなやりかたの因循姑息なシステムのせいで、えらいことになってる彼方の国では、世界グループや世界の車屋などといったお偉いさんたちが、国と一緒になってケツの拭き合いをしておる。
ツケでずっと飲み続けられるほど、世の中甘くは無いのじゃ。
こなたの国では、火事場泥棒のような王政復古組みが、同じような多額の銭を弄んで、隠れた魂胆、大きなお世話をしようというらしい。
これをなんというたかのう。
お。そうじゃ。こういうのを、醜女(しこめ)の恋。
発展途上国じゃあございませんでしょうに。辞退自体がおちょくっておる。
その昔の、幕府側や雄藩の間で、また朝廷との脈絡の中でどのように事が運んだか、そのメカニズムは定かではござらぬが、気脈を通じる何か、つまりは、王政復古組と公武合体組と、尊皇攘夷組との間で、何らかの通じ合う気脈が、文明開化へと繋がったのでございましょう。
本筋の幹があって、枝を生やす。しかしその枝は、絶対に幹に取って代わることは無い。枝はあくまでも枝で、デッドエンドは必ず訪れるものでございます。
保守だろうが革新だろうが、枝葉は枝場だと、その時代の偉人は気脈を通じたのではないかともうのであります。
それは本筋の幹の育成の為には、それぞれの利害にも眼を瞑ろうという、大人の判断でございましょう。
きれいにケツを拭けるかどうかが、大人か子供かの違いでございます。
世界規模で、三位一体のせめぎあいを余儀なくされる現代。
協調という言葉が、頻繁に出るようになった今こそ、我田引水のみを秘めたるポリシーにしている輩に退場願うチャンスとも思ってしまうのでございます。
幹において、気脈の通じ合う、信用信頼し合える相手と手を組んで乗り切ろうと励んでいただきたいのであります。
何処がその先の幹であるかにしても、それぞれに、自らのポピュリズムに対するヘアースタイルをチェンジしてみる時代に本格的に突入したのではないかと思う次第でございます。
頭にきたのでたたいてみれば、チェンジチェンジの音がする。