南無煩悩大菩薩

今日是好日也

せっぱつまって。

2014-04-11 | 世界の写窓から
(photo/Sagi Kortler)

或る日急に道が開けたりすることはある。

だが突然、耳が聞こえるようになったり、幹細胞が現われたり消えたりすることもあると伺っている。

そうである事が本当で、そうでないことが嘘、

そうである事が嘘で、そうでない事が本当、

そういう事は本人が決めることで、どちらがしんどいかも本人に帰ってくることである。

あるかないか、そうだったかそうでなかったかということで、それまでの掌を返したような反応はいかがなものか。

どちらにしても、すくなくとも、厳密な意味で対峙する自他が共有できる「本質」というようなものは無に等しい。

心ある人は、どちらにしても、憶測の域は捨て、病人には優しく接するべきを知っているのである。

せっぱつまると人は思いもよらないことをするものなのだ。
コメント (2)
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