(photo/unknown)
作家の開高健さんは、「釣りとは絶対矛盾的、自己統一である」と語っていたようである。
「マキャヴェリの夢」として伝わっている話がある。
ある夜、彼は夢を見、家族に話した。それは歩行中、間の抜けた、貧しげな連中とゆき違い、次に厳粛な顔つきをした一団とゆき逢ったが、あれは誰かと人に訊くと、前者は天国へゆく人々で、後者は神の怒りにふれて地獄へ行くギリシャやローマの哲人たちだ、ということであった。そしてお前はどちらへ行きたいかと尋ねられ、私はあの馬鹿どもと天国へ行くより、後の人々と共に地獄へゆきたい、と答えたという夢であった。
マキャヴェリは天国ではなく地獄を釣りあげようと夢みたのかもしれない。
古来より「釣り」は、ある種哲学的な意味合いとの相性がよいようだ。
他人に馬鹿ではなかろうかと思われようとも、その行為に絶対的価値を置く者にとっては、神聖な哲学的行為となっていることがある。
釣ることを二の次にした「釣り人」はなかなかあなどれないのである。
(おまけ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/46/7e326bd20b8c97a289e28706f33af1d6.jpg)
(unknown)
作家の開高健さんは、「釣りとは絶対矛盾的、自己統一である」と語っていたようである。
「マキャヴェリの夢」として伝わっている話がある。
ある夜、彼は夢を見、家族に話した。それは歩行中、間の抜けた、貧しげな連中とゆき違い、次に厳粛な顔つきをした一団とゆき逢ったが、あれは誰かと人に訊くと、前者は天国へゆく人々で、後者は神の怒りにふれて地獄へ行くギリシャやローマの哲人たちだ、ということであった。そしてお前はどちらへ行きたいかと尋ねられ、私はあの馬鹿どもと天国へ行くより、後の人々と共に地獄へゆきたい、と答えたという夢であった。
マキャヴェリは天国ではなく地獄を釣りあげようと夢みたのかもしれない。
古来より「釣り」は、ある種哲学的な意味合いとの相性がよいようだ。
他人に馬鹿ではなかろうかと思われようとも、その行為に絶対的価値を置く者にとっては、神聖な哲学的行為となっていることがある。
釣ることを二の次にした「釣り人」はなかなかあなどれないのである。
(おまけ)
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