南無煩悩大菩薩

今日是好日也

随時と同時。

2008-03-04 | つれづれの風景。

灯明が二つ並んでいる。

複数の最小は2。

0か1か、という限定2者択一的思考風潮は、選択の罠にはまりやすい。

無理に選ばなくてもやり過ごすことを可能にするのは、複数の選択肢を持つことだろう。

セカンドキャリア(もうひとつの人生)の考え方か、パラレルキャリア(もう一種の人生)の考え方を取るのか。

随時か、同時か。

いしだあゆみさんは、あなたならどうする?と唄った。


灯明は二つ並んでいる。

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ユートピア。

2008-03-03 | つれづれの風景。

眼視(めみ)も鮮やかな朱の世界で、純白のしもべが守るその扉の奥の世界。


ユートピアとは、語源的には、ノープレイス=何処にも無い場所、を意味するという。

多少なりとも誰でも人はそれぞれに思い抱くユートピアがある。

何処にも無い場所を切望するという、一見矛盾するその感性は、思う道理と現実の成り行きの狭間で、起こる狂気を緩和させる知恵であるかもしれない。

軽いユートピアは、重い現実に遭遇した我が精神を守る消炎剤として、機能しているような気がする。

その扉の向うには、なにがあるということでもなかろう。

朱に瞠目し、純白に慧眼することさえできれば、何処にも無い場所という、場所に佇むことができるはずではないか。

押し付けられるものでもなければ、押し付けることもできない。



珠には、自分を騙し騙し生きるのも知恵である。

今日の賢さは、明日の愚かさであるかも知れないから。

真白の狐は、そのように誘っているようだ。

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人生劇場。

2008-03-01 | 酔唄抄。


船場の親父が、難波は大和屋で、遊んでる姿、わたしゃ忘れもしません。

友人と呼ぶには、恐れ多すぎる齢八十に手も届こうかという酒が縁の今は親父の話を聞く。

人は様々なことを、胸に収めながらも可憐に役回りをこなすものだと、つくづく思う。

順番なのである。思いもよらず、おなじようなことを白沼についついついばんでしまうのも、いたしかたもない花道なのである。




息子よ。

説教をたれるほど、立派ではない。

こんな親父でも、自分に置き換えることはできる。

お前と同じ役回りを果しつつ生きてきた。

わしが、伝えられることは多くは無い。

泣くな。

人生が劇場であればこそ。



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