南無煩悩大菩薩

今日是好日也

きんぽうげ。

2008-05-12 | つれづれの風景。

歩けばきんぽうげ。座ればきんぽうげ。


確かそんな詩があった。


静かなる時も、動き激しき時もある。

が、私は私以上のことは出来ない。


ぽつりとさいているきんぽうげ。



己の長を言うこと無かれ。相手の短を説くこと無かれ。



ひらけばきんぽうげ。とじればきんぽうげ。

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蟻とさるすべり。

2008-05-10 | 有屋無屋の遍路。

さるはすべってもありはすべらないのである。

だからさるすべりなのだ。ありすべらない。という名前はつかない。

すべるということは、なめらかであるということである。

すべすべだからすべるのである。

ひっかかりがないのである。

しかし蟻にはひっかかるのである。

だからすべらないのである。

なにかかがひっかかると、すべりどめになるのである。

ひっかかりはきもちわるいときもあるが、ひっかかりがないとすべりおちるのでもある。


さるすべりは、さるには登ってほしくないのである。でも蟻には登ってもらってもかまわないのである。

それがさるすべりのきもちなのである。

蟻はその気持ちを汲めるから、ありなのである。

さるには、ありとさるすべりのきもちはわからないのである。

だからありもさるもさるすべりもみんな幸せなのである。

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飛んでいる。

2008-05-08 | つれづれの風景。

お!。

ボラギノールが、とんでるやないか。

んなわけないわいな。


悪さはしません。非行せん。


ぴーちくぱーちく雲雀も鳴いている。

面白うもないダジャレをいうのは、ダレジャ。


天気がよすぎるのも考えようやな。


あかん。とんでるわ。


あしたなのさ。フライデー。

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里山と花水木。

2008-05-07 | つれづれの風景。

ワシントンの桜の返礼に贈られた花水木。

花木を送りあう国際交流は、相手の花を咲かせあうというところが、佳き思惑だろう。

日本の里山にすっかり溶け込んだ花水木に、人の手を介しながら、美しい風景は維持されようものを、教えてくれる。

このまま荒れないでほしい景色でもある。

米国の、チェリーブロッサムも、溶け込みながら花咲かせているのだろう。


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五月の風。1.

2008-05-04 | つれづれの風景。


甍の波と雲の波の中空に。

立花薫風が吹く。

はためく音も心地よく。

端午の節句は福願う。

五月の風は、こい誘う。

万民吹かれよ、福の風。



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五月の風。2.

2008-05-04 | つれづれの風景。


大漁だ。

万民ならぬ万鯉幟が、わけ隔てなく々風に祝福されている。

高く泳げや。五月の風に。


風も吹く吹く。こいも福吹く。さっきの風よ。

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つつじ三態。その1.

2008-05-02 | つれづれの風景。

カモンベイビー。

一つ一つの躑躅が呼んでいる。

こっちの蜜は甘いぞ。と。

私が虫ならば、躊躇無く飛び込む。
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つつじ三態。その2.

2008-05-02 | つれづれの風景。

洗練された透明感。

淡い色を淡くない存在感が包んでいる。

ほれてしまいそうな、つつじの姿態。
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つつじ三態。その3.

2008-05-02 | つれづれの風景。

花は霧島。燃えて落つるは、おはらはー桜島。

霧島躑躅のその峻とした小ぶりの花と火山の赤が、緑に浮かぶ。

緑業草中紅浮景。



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もうひとつ。

2008-05-01 | つれづれの風景。

爽快感を演じるのは、見た目が爽快に感じられることである。

色と形と開放性という要素のなせる業である。

どれぐらいの感覚をそこに感じるかという問は、本人次第である。

冷色や鋭角や開放性に対する、今の当人の心の環境のありようでもある。


年齢を重ねると、だれとももなく、風景を花を愛でるようになるのは、そういうことだろう。

そこにある一つの風景。

もう一つの風景は、見る側にある。

それも一つには自由である。


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