-高野聖(こうやひじり)はこのことについて、敢(あ)えて別に註して教えを与えはしなかったが、翌朝袂を分って、雪中山越えにかかるのを、名残惜しく見送ると、ちらちらと雪の降る中を次第に高く坂道を上る聖の姿、あたかも雲に駕(が)して行くように見えたのである。
-泉鏡花「高野聖」より-
なにげもなく不測の事態なるも、思わず落涙を許してしまうときがある。
-と浮いて出ると巻き込まれて、沈んだと思うと又浮いて、千筋(ちすじ)に乱るる水と共にその膚(はだえ)が粉(こ)に砕けて、花片(はなびら)が散り込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足も全き姿となって、浮いつ沈みつ、ぱっと刻まれ、あっとみるまにまた現れる。
-気がつくと男滝の方はどうどうと地響き打たせて、山彦を呼んで轟(とどろ)いて流れている。ああその力を持って何故救わぬ。儘(まま)よ。
ロマン溢れる文豪の美文を借りて、身に芽生えた一掬の涙を、ぐいと拭う。
去りながらも来たり、来たりながらも去るものを以って諒とする。