南無煩悩大菩薩

今日是好日也

それぞれのスピリット

2014-04-10 | 意匠芸術美術音楽

アルゼンチン生まれの、Christopher Pillitz氏の作品「The Spirit of Tango」











なるほどかっこいい、タンゴの本場で呼吸をしていた人ならではの作品だ。

翻って、「都都逸、民謡、盆踊り」これが、私のスピリット。
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安もの買いの銭失い

2014-04-09 | 世界の写窓から
(original/unknown)

基本的に「値段の割にましなもの」はあっても「安くていいもの」は、ない。

基本的に、と前置きしたのは、成り立ち・流通・競争規制他の要素において「不正」がある場合はその限りではないから。

また、「掘り出しもの」はあっても「鴨が葱しょってやってくる」ことは、ない。

需要側でのコスト意識の高い人は、供給側としてもその意識は高い。

相対・相関的に高いということにはそれなりの理由がある、安い・得だ、という理由だけで選ぶと最終的には高くつく、費用対効果つまりコストパフォーマンスは残念なことになる。もし高くてぼったくりのようなものがあれば、そのうち時間とともに市場から締め出されるはずだ。

もちろん、ペガサスがダンボであっても満足できるなら、それはそれでいい買い物だ。
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猪口と徳利、春霞。

2014-04-08 | 酔唄抄。
(photo/Dennis Stock 1956)

ちょこ ちょこ 吞む日を ひとつにまとめ とっくり はなしがしてみたい
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まいどまいどの花見のうた。

2014-04-05 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

龍田吉野も見る人無けりゃ花も紅葉も谷の塵 -頼山陽-



花見る人と酒飲みは今日もさけさけ明日もさけ -詠み人知らず-



咲いて牡丹と云われるよりも散って桜と云われたい -久坂玄瑞-



春宵一刻値千金花に清香有り月に陰有り -春夜-



歌声や管弦の音は先ほどまでのにぎわいも終わり、声細細



人気もなくなった通りに提灯がぶらさがり、夜沈沈

・・・・・。
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茶畑の春。

2014-04-04 | 世界の写窓から
(photo/Tea Farm Spring)

この世は祝福に満ちている。

そうでないものならそうみえるはずはないように、そうであるものならそうではなくみえるはずもない。

この世は憂いに満ちている、がしかし憂いは人に情緒というものを教える。

この世は恐れに満ちている、がしかし恐れは人に自制というものを教える。

アインシュタイン博士が言ったように、「常識」とは、自らによる偏見の集合体である可能性がある。

この世は美しさに満ちている。がしかし美しさは人に偏見というものを教える。

処女は純潔の意味を理解しがたく、卑俗を知らない者に高潔さはみえず、人を恐れるものが人に優しくなることもない。

憂いも、恐れも、美も、自らの常識を疑い続けることで、そうであるものはそうみえ、そうでないものはそうはみえなくなってくるのではないか。。

・・そんなことを考えながら、ゆったりとした足取りでこんな小径を、歩いてみたい。
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小さな生き物達の大きな世界

2014-04-03 | 世界の写窓から
(photo/unknown)

蟻のプロクルステスは必死にその命を助けようともがいた。

自分より何倍も大きく重い蝸牛のベネフィテクスを引き上げることしか彼の頭にはない。

自分の身丈に合わずの奮闘覚悟の結末、命を助けたものの疲労困憊精根尽果のプロクルステスは、落下して死んでしまう。

助けられたベネフィテクスは、助かったとホッとした。

あのまま引き上げられていたら、プロクルステスが死ななかったら、我が身は仲間を呼ばれよってたかって食べつくされていただろう。

どちらの存在も、大きな神の世界に住んでいる。
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福さん。

2014-04-02 | 酔唄抄。

そもそも美味いのであるが、長いこと口にしながらもどんな味だったか今は思い出せずに啜る酒がある。

昨日がそうだった。

その人柄から気風のいい大人の男たちに愛され、それをこつこつときっちりと還す、そんなメンズバーを創り上げた。

必ずしも順風ではなかった人生を静かに終わらせた人を偲ぶ時、その人の酒の味が思い出せなくなった。

「世の中の 人と煙草のよしあしは けむりになりて のちにこそ 知れ」

勉強になりました、ありがとうございます、福さん、では一杯どうですか?

「はい、いただきます」という返事はなかった。
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不気味さや残酷さと同時の荘厳な美しさ。

2014-04-01 | 意匠芸術美術音楽
(source/Untitled painting by Zdzislaw Beksinski)

オキシトシンというホルモン物質がある。

「このホルモンを人に投与した実験は衝撃的だ。鼻から吸引させたところ、金銭取引で相手の言葉をほとんど盲信してしまった。その結果、損害を被っても、再び投与すると損害のことを忘れて再び相手を信じてしまう。
ちなみにオキシトシンはセックスでもよく分泌されます。セックスするとお互いに理解が深まるように感じるのは、愛し合っているからではなく、オキシトシンの奴隷になっているだけかもしれない。ケミカルな話ですがそれが現実だ。」-プレジデント2014.3.17より抜粋-

身も蓋もない話ともとれるが、私は何故か「相対関係」と「因果関係」の違いについて頭がいってしまった。

つまりオキシトシンに限らず、ホルモンは相対的に分泌されるのか、因果的に分泌されるのかということについて。

相関関係と因果関係を混同してしまうことでそれそのものの理解が難しくなる。
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