小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

港区の坂 その2 三田、白金台

2020-05-23 18:21:54 | 写真日記
港区の坂 その2 三田、白金台

2020-5-5, 5-17, 5-21

機材は全てSony alpha7RIII + Zeiss Batis 40mm



今日は目黒通りにある日吉坂上を出発点とします。



日吉坂上から日吉坂と桑原坂が始まります。今日は日吉坂を下ります。 たまたまミニが通りかかる、今日もミニだらけです。







日吉坂と下ると、且つての都ホテル、現在はシェラトン都ホテル。



途中に、当方お気に入りの名無しの坂、三光坂にある服部金太郎氏の洋館跡横の坂の出口です。正面にThe Shirokane Guest Houseと表札がある大きな入り口があり、屋敷跡利用の新しいホテル&結婚式らしい。
日吉坂のエンド付近にあるマンション、ラ・マーレ白金には立派なバラが植えてあります。手入れも大変でしょう。こだわっています。









日吉坂を下ると、国道1号線〈桜田通り、第二京浜〉にぶつかります。ここに清正公(せいしょうこう)と通称される覚林寺(かくりんじ)があります(港区白金台一丁目)。日蓮宗の寺院で旧本山は千葉県鴨川市小湊にある大本山。誕生寺。覚林寺には加藤清正の位牌や像が祀られていることから、付近の住民からは「清正公さま」と呼ばれ、勝負祈願の寺として信仰を集めています。



左は三田駅に向かう国道1号線の名光坂ですが、今日は国道を渡って、天神坂を上ります。



見つけました、シトロエン C3 エアクロスらしき車にでくわしました。


天神坂





この道はメリーロード高輪と命名して盛り上げようとしていますが、特に興味を引くお店が無いのです。

坂のトップを左に曲がると旧高松宮邸があります。現在は上皇上皇后両陛下の仮住まいの地です。正式には高輪皇族邸(たかなわこうぞくてい)であり、2019年から仙洞仮御所(せんとうかりごしょ)となりました。

右に曲がれば東海大を経て品川駅に方面につながる道です。


旧高松宮邸 空撮 ネット情報


旧高松宮邸の脇の坂道

旧高松宮邸を過ぎると、本日のメイン地点、伊皿子交差点です。



右から伊皿子交差点に入り、左に曲がると魚籃坂、右に曲がると伊皿子坂、直進すると聖坂。
魚籃坂下は国道一号線(第二京浜)です。伊皿子坂を下ると、四十七士で有名な泉岳寺があり、地下鉄の泉岳寺駅に続きます。その先は第一京浜(国道15号線)で、JR新駅,
高輪ゲートウェイも近くです。伊皿子坂から魚籃坂は結構なアップダウンですが第一京浜と第二京浜をつなぐ重要な道となっています。








魚籃坂の途中にある魚籃寺





魚籃坂のトップ近くにある英国風カレー屋さん、SUNLINE。具のないシャバシャバのカレー、1500円で一種類。<お水はいっさいだしません>と看板に書いてあるいわくつきのお店で、すでに20年くらい続いているのだからすごい。現在は自粛で休業ですが、まだ健在なんでしょうね?
ちょっと伊皿子坂を下りてみます。



NHK交響楽団の練習場があります。



向かいには大きな宮殿のような建物があり、幸福の科学の関連の建物です。この白金地域には幸福の科学の建物がどんどん拡大しています。

この洋風建築に対比するような、昔からのお寺、泉岳寺があります。







四十七士のお墓が並んでいます。首洗いの井戸などもあります。



門前のお土産屋さんも皆自粛休業中。



ちょっとあいた扉から覗いてみると、それらしきお土産が並んでいました。

さて、伊皿子交差点に戻り、伊皿子交差点を左折すると聖坂で、三田駅に向かいます。

伊皿子交差点は大きな3つの坂が交わり、3方いずれの坂も下ってゆく、結構珍しい交差点と思います。実は、当方この伊皿子交差点からすぐのところのテラス三田というマンションに住んでいたので、この辺は馴染みの場所なのです。

テラス三田の裏手には三田台公園があります。ここは貝塚が出土しており、大昔はこのあたりが海岸であったことを物語っています。



三田台公園 正面に見えるのがテラス三田。


貝塚のディスプレイ





大昔このあたりが、海辺の高台であったことがうかがわれます。



聖坂から国道1号線への坂道の一つ、幽霊坂。名前が印象的ですから、よく覚えています。





さらに聖坂を進むと、亀塚公園があります。



この奥にカントウタンポポの保全区というのがありました。今回初めて気が付きました。

久しぶりにこのあたりを歩いてみると、殆ど変わってないなという感じがします。
ところが、亀塚公園を過ぎた先に、ものすごい広域の再開発地域に出くわしました。いったいここはどういう建物が建つのでしょうか? ここの大きさはすごいですよ。




三田三・四丁目地区第一種市街地再開発事業



すでに巨大なビルが建っています。



この再開発地域の元はどうだったかというと、中学校、大学、古いアパートなどがあったのです。この地域がJR新駅、高輪ゲートウェイに連結してゆくのです。高輪ゲートウェイ周辺も再開発中、高輪ゲートウェイは次回の港区の坂でご紹介しましょう。

今回、港区の坂を探検していると、ここばかりでなく数か所の大きな再開発地域に出くわしました。このような大規模な再開発ばかりでなく、この自粛の期間に、なにやら、住宅やマンションの建て替えや修理がやたら目立ちます。まじで、この状態は半端でないですよ。建築業だけが自粛なしでフル回転しているようです。いまがチャンスなのでしょうか?
とにかく港区は、ちょっと目を離すと、古げな建物がどんどん消滅してリニューされ月単位で景観が変化してゆきます。



これは魚籃坂下や地下鉄白金高輪駅からすぐのところの再開発建築現場



高輪皇族邸を中心とした図面になっています。実際に旧高松宮邸のすぐそばから始まり、国道を越えた向かい側まで、広大な地域の再開発です。



高輪皇族邸の前の道から第一京浜におりる坂の途中からこの再開発地域は広範囲に広がっています。このあたりは景観がかなり変わるでしょう。昔住んでいた者からすると、この静かな街の変化にビックリです。

さて、聖坂に戻り、この聖坂の再開発地からすぐのところに不思議な建物があります。当方が住んでいたころからこれは何だろうと思っていました。調べてみると。



建築士、岡啓輔さんが作られている「蟻鱒鳶ル」(アリマストンビル)。自力建設を成し遂げようと、12年以上にわたって奮闘中、「三田のガウディ」とよばれています。「三田のガウディ」ファンは再開発の波がここまでおしよせることを心配しています。

聖坂の途中から左に入いる幽霊坂はその名前が印象的なので覚えていましたが、その先の
潮見坂と蛇坂は今回初めて通りました。以前この地域に住んでいたにもかかわらず、住みかの周りでも知らない場所というのがあるもんです。





この坂を登るのは初めてです。

今日はここまで。<港区の坂 その2>の続きはまた明日載せます。お楽しみに。








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