京都の道 その2 東大路ー5
2009年 7月20日(日曜日)
青蓮院です。我が家から最も近いお寺であるのに行ったことがありませんでした。当方の同級生が時々外人を案内して青蓮院に行くといっていましたが、本当に、外人を連れて行くにぴったりのところでした。とくに目玉というものは無いのですが、典型的お寺の風景というか、お寺の意味をきちんと率直に、わかりやすく見せています。
緑の季節もいいですが、紅葉の季節もいいと思います。このお寺は知的な調和を感じます。
特に、迫るものは無いお庭ですが、それがいつまで居てもいいような、静かな、あるがままの自然、仏の母体の中のような。
この、人が作ったパターンの織りなす自然。ただの自然よりもっと自然なのです。
心憎い、作為のない作為。自然を使って自然を超える。
緑の織りなす、この何気ないアングルもきっと計算されているに違いない。
ほら、この石灯籠の存在が、驚くべき世界を作っています。しかも何気なく。
綺麗な瓦です。全てが調和しています。
能舞台が見えます。なんと知的な空間でしょうか。しかし、知的と思わせない。どこまでもあたりまえのように。もともとそうであるべきように。
この瓦のおりなすパターンもどうということも無いにも関わらず、記録してしまうのは何故でしょう。その存在が美しいとおもえるのです。
2009年 7月20日(日曜日)
青蓮院です。我が家から最も近いお寺であるのに行ったことがありませんでした。当方の同級生が時々外人を案内して青蓮院に行くといっていましたが、本当に、外人を連れて行くにぴったりのところでした。とくに目玉というものは無いのですが、典型的お寺の風景というか、お寺の意味をきちんと率直に、わかりやすく見せています。
緑の季節もいいですが、紅葉の季節もいいと思います。このお寺は知的な調和を感じます。
特に、迫るものは無いお庭ですが、それがいつまで居てもいいような、静かな、あるがままの自然、仏の母体の中のような。
この、人が作ったパターンの織りなす自然。ただの自然よりもっと自然なのです。
心憎い、作為のない作為。自然を使って自然を超える。
緑の織りなす、この何気ないアングルもきっと計算されているに違いない。
ほら、この石灯籠の存在が、驚くべき世界を作っています。しかも何気なく。
綺麗な瓦です。全てが調和しています。
能舞台が見えます。なんと知的な空間でしょうか。しかし、知的と思わせない。どこまでもあたりまえのように。もともとそうであるべきように。
この瓦のおりなすパターンもどうということも無いにも関わらず、記録してしまうのは何故でしょう。その存在が美しいとおもえるのです。
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