毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「安倍靖国裁判・関西、最大の山場:証人尋問の回」No.1421

2015-08-01 10:53:39 | 反戦平和

昨日7月31日も大阪では盛りだくさんの戦争反対集会・イベントがありました。

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」もその一つ。

原告団の一人として、私は朝9時20分には大阪地裁に着いていました。

第7回目の昨日はこの裁判最大の山場、9人の方がたの証人尋問でした。

179人の傍聴希望者のうち3分の2は原告側で占められ、

被告(安倍・靖国神社)側から

「今日は人数で負けているわ」と呟きが聞こえたそうです。

懐かしい人と言葉を交わしたり、(ああ、あの人も来ているんだ)と、

姿を確認したりしました。

やはり平和運動のベテラン(笑)が多かったですが、

ところどころに若者の姿も見られました。

 靖国裁判とは、日本国家の(過去の、そして将来の)戦争に対する姿勢を

問うものであり、決して年寄りの独壇場ではありません。

 

第一回の傍聴抽選に当たって以降、外れっぱなしの私は

今度こそ!と心中期するところがあったのですが、またダメでした。

そういう訳で、以下は地裁前で配られた裁判資料と夜の報告会で

知り得たことをもとにしたものです。

 

実は、靖国裁判が始まった1985年(当時中曽根首相)当時、

30代だった私は(年配者が昔のことをきちんとさせようとしているんだなあ)と、

半分他人事としてその裁判を見ていました。

(おや?これは違うぞ)と初めて感じたのは、

2005年の小泉靖国裁判で、台湾先住民(タイヤル族)の遺族の方が

「日本に占領されていた戦時中、身内が日本軍の兵士として強制的に徴兵され、

戦地で殺されて、あげくにいつの間にか『日本軍兵士英霊』として靖国神社に入れられた。

家族にことわりもせずに、勝手に合祀されたことに怒りを禁じえない。

戦争に強制徴用し、侵略戦争の片棒まで担がせて殺した

日本政府の責任をごまかした上に美化している靖国合祀を、

台湾の遺族は拒否する。

身内の魂をわたしたち家族のもとに返してください!」

と主張された時からです。

(日本政府は戦争時にやった侵略の責任を取らず、ごまかしている。

これではアカン)と感じました。


昨日の証言尋問には、その時の女性(インカ・メビンさん)の娘さんが来て、

証言台に立ち、夕方の報告集会でも話されました。

左側が娘さん(ヤユトウ インカさん、漢名:張嘉)、右は通訳の方です。

  

彼女の陳述書を2回に分けて転載いたします。

――第一回

私の父は漢族で、母親はタイヤル族です。

漢名は趙嘉、タイヤル族名はYayud Inka(ヤユトウ インカ)と申します。

夫の○○○は日本人です。母のInka Mbing(インカ メビン)は新竹尖石のタイヤル族です。

母の3人の叔父は南洋に強制徴用された高砂義勇隊の犠牲者です。

3人の叔父とも生還していません。

このうちの二人(有村健三、有村武夫)は後に靖国神社に合祀されています。

 

母は幼い頃より彼女の祖母に育てられ、小学校の5年生まで行きました。

母はかつて私にこう話していました。

「私が小学生の頃、祖母が私に教えてくれました。その年、派出所の日本人警官が家に来て、

お前の息子4人のうち、1人を残し、他の3人は南洋に行かねばならない。」

残された一人が即ち私の祖父の雲玉堂(有村健二)です。

警察は4人中1人しか残してはならないと命じました。

これは強制徴用と言わざるを得ず、自らの意思による志願などではありません。

戦争終結後、3人の叔父はみな家の戻ることはありませんでした。

私が二十歳の頃、当時日本の首相小泉は、首相の名義で靖国神社に参拝しました。

その後、私の母は2003年に靖国神社に赴き、犠牲者名簿の中に

二人の叔父(有村健三、有村武夫)の名前を見つけ出しました。

母はその場で二人の霊魂を合祀取り下げするよう要求しました。

しかし、靖国神社の執事は、

「彼らはお国のために犠牲となり、その魂は既に一つの火の玉の一部となっています。」

と回答し、母の要求を拒絶しました。

母は傷心のあまり、大殿前でタイヤル族の古調を吟じ、叔父たちを慰めるとともに、

「あなた方をまず家に連れて帰り、GAGAの伝統に従って、虹の橋を渡らせて弔います。」

と誓いました。

私たちは決して日本人ではありません。

私たちは強制的に徴用されて、高砂義勇隊にされた挙げ句、

砲塵にされた犠牲者に他なりません。

これでどうして日本人だと言えるのでしょうか!

日本人犠牲者遺族に対しては毎年遺族年金が発給されていますが、

高砂義勇隊の遺族は終始除外されています。

ただ一度「弔慰金」が発給されただけです。

これでも日本人だと言えるのでしょうか!

2003年から、母と他の高砂義勇隊遺族代表は

「昼と夜は共存せず、被害者と加害者の霊魂を同じくして合祀すべきではない。」

という訴えのもと、大阪の裁判所に高砂義勇隊犠牲者の合祀取り下げを求めて提訴しました。

この判決において、大阪地裁で、首相の靖国神社参拝が日本の憲法に違反していると判断されました。

損害賠償請求は認められませんでしたが、両親は、

日本の裁判所が憲法違反を認めたことにとても慰めを感じました。

母はこれで二度と日本の首相が靖国神社を参拝することはないだろう、

日本は平和国家の道を歩いて行くのだろう、といっていました。

そして、そのことを信じて最高裁判所への上訴はしないと決めました。

母も私も、日本の首相が再び靖国神社に参拝に行くとは想像もしませんでした。

―――続く



 

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