昨夜は娘とその連れ合いが神戸元町駅前にとんでいきました。
仕事が終わり、保育所に子どもを迎えに行って自転車で家に帰り、
洗濯ものを畳んで、子どもに桃の切り身(?)を食べさせ、
私の用意した(て言うか、半分はスーパーで買ったんですけどね)夕食を食べて、
そうしているうちに帰ってきた連れ合いと慌ただしく出かけて行ったのです。
娘の連れ合いは30代中ごろですが、娘と私の勧誘、
「シールズ関西の街頭活動は、今までの掛け声と違うよ。一見の価値ありだよ。」
で、「ふーん、じゃ行こうかな」と。
孫娘は私と留守番です。
私はそのために一駅離れた自宅から娘夫婦の家に出かけたのです。
実は、私はそれがたいへん楽しみなのです。
去年の7月に中国から帰国した時、彼女はまだ一歳足らずでしたが、
不審者を見分ける力が強いのかして、
私への対応はかなりよそよそしいものでした。
私は娘の助けになれば、と思って時々手伝いを申し出ましたが、
はじめ、孫娘はこの世に1年弱しか存在していないのに(から?)、
私と2人で過ごすことにその小さい身体の全てで抵抗を示しました。
お母さんがトイレに行くだけで顔に緊張が走り、
お母さんがお出かけしたら暫くの間は大泣きです。
その時、私はかつて観た映画「トッツイー」で、
ダスティン・ホフマンが孤軍奮闘していた
子守りの場面をおもわずにはいられませんでした。
ああ、その日々から一年。
両親が戦争反対の集会に参加して家を空けていても、
もはや私の「トッツイー」時代は終わっていました。
祖母と孫は、穏やかにビデオ録画した「アンパンマン」を2回観て、
新しいキャラ名を教えてもらい(ほとんど何と言っているのか分からなかったけど)、
NHKみんなの歌の「たこたこ音頭」をともに踊っては、
「カエルの歌」に合わせてスプーンでリズムを打ち、
入浴(実態は、お風呂場で水遊び)の後は絵本を次々に読破して、
最後に「しろくまさんのパンツ」を読んでから、
パンダのぬいぐるみにもパンツを穿かせるべきかどうか話し合い、
オムツパンツを穿いたパンダやコッシ―(なんかのキャラクター)と手をつないで
ベッドルームへ向かったのでした。
昨夜の感動は、初めて孫が「おばあちゃん」と、私を呼んだことです。
ベッドで私が寝たふりをしていたら、何度も、
「おばあちゃん」「おばあちゃん」と起こすのです。
寝たふりベテランの私は、眉根一つ動かさずに心中ホクホクでしたよ。
ついに寝た孫娘をみていて、人類の歴史を思いました。
(こんなふうに世界中の人たちは、いのちをつないできたんだ)と、
しーんとした時でした。
だから、簡単に「○○人、死亡」とか、
いのちが数字で片づけられる時代は間違っていると思うのです。