14日から今日まで中国での教え子二人が遊びに来ていました。
彼女たちは江西財経大学日本語学科の提携校である岡山商科大学に4月から留学中です。
左が伍うんかさん、右が陳ようさん。日本語学科のクラスメートです。
陳ようさんからメールで「毎年大阪で開催されるサマーソニックに行きたい」
と便りが来たとき私は、安倍さんのお蔭でいつも政治のことを考えて日々過ごしていました。
自分の思いをすぐ他人と共有したがる私のこと、
昨今の日本の政治状況をメールで滔々と説明すると、陳さんは、
「私は政治に関心がありませ~ん」
とキッパリした返事がかえってきました。
もし、私が中国で生まれ育ったら同じことを言ったかもしれません。
日本では政治的諸権利があっても、国民が十分それを使いこなしているとは思いませんが、
中国では政治的諸権利を国民が行使したくてもできない状況があります。
つまり、個々の政治的言動は非常にリスクを伴います。
そんな危険なものには自然と目を向けたくなくなりますよね。
無関心でいれば取りあえずは安全なので、多くの中国の若者は政治的関心が薄いです。
もう一つの若者のパターンは、言われたことを信じる愛国者です。
でも、そのどちらでもない若者も私は知っています。
自分で調べ、自分の頭で考えるタイプです。
私は日本語学科の学生たちに第3のタイプになってほしくて、
あれこれ言ってきました。
従って今回も、ただちに引き下がらず、
さりげなく日本の高校生りゅーた君(T-ns Sowl)の政治スピーチを
フェイスブックで探して送ったのです。
陳さんはりゅーた君の文を一生懸命読んで返事をくれました。
「日本では高校生まで政治に関心を持って頑張っているのに自分が恥ずかしい。
私も公民として国家のために頑張らないといけない」と。
・・・・・・・・・。
私はまた別のスピーチ(Sealds-kansai)を添付し、
「中国の若者がよく言う’国家のために’はデモに参加している日本の若者は絶対言わない。
どうして言わないのでしょう。何が違うのでしょう。」と書きました。
そんな経緯があった後に、私たちは昨日集会に出かけました。
『加害の歴史にしっかり向き合ってこそ 平和な未来を築くことができる。
戦後70年 東アジアの未来へ!宣言する市民』という集会です(長い)。
会が始まってまもなく、
前日14日に安倍首相が発表した談話に対する批判文が配られました。
そのとき、陳さん・伍さんは何やら二人でひそひそ話し合い、
スマホを使って何かを始めました。
「私たちは分担してこの安倍談話批判文を中国語に翻訳し、微博に投函します」
と言うのです。
15日、中国は天津の爆発事故と安倍談話の話題が持ちきりでした。
そこに投函したのです。
夜までに閲覧は2000を越え、コメントも40以上あったそうです。
詳しくは改めて整理したものを送ってくれるそうですが、
中国人民の反応は、ざっくり次のようなものでした。
・中国のテレビニュースでは毎日安倍首相のことばかり報道されて、日本の民衆の声がほとんど届かない。日本の民衆が過去の歴史を直視し、アジアとともに未来を作って行こうとしていると聞いて、素晴らしいと感じる。
・私も最近観光で日本に行きましたが、街でたくさんの人が安倍首相反対、戦争反対のデモしているのを見た。日本の政府と民衆は違う。日本の人たちに共感を覚えます。
・平和を愛する人たちのことはどこの国の人であれ支持します。
・後輩、すばらしい翻訳だね!いいことしたね!
など。
江財大日本語学科のクラスメートや卒業生なども、後輩の行動を褒めたたえ、シェアしてくれました。
その夜陳さんは、
「私は中国と日本の友好のために何かをしたかったんですけど、
ようやくそのチャンスを得ました。とても嬉しいです。」
と真顔で言いました。
今夜からまた、伍さんは岡山でミスタードーナツのバイトがあるため、一足先に帰り、
陳さんはサマーソニック会場で、
高校生の時からの憧れであるマリリン・マンソンのショーを観たのち
無事にバスで帰途に着いた模様です。
下はマリリン・マンソン(らしい)。陳さんが送ってくれた写真です。