『加害の歴史にしっかり向き合ってこそ 平和な未来を築くことができる
戦後70年 東アジアの未来へ!宣言する市民』8/15集会(大阪:エルシアター)で、
午後、高橋哲哉さんの講演がありました。
午前中だけでもエイサーやサムルノリの公演、高里鈴代さんの講演や、
中北弁護士による安倍談話批判スピーチe.t.c.と、
既に十分すぎるほどの内容だったのです。
午後の部もあると聞いてはいましたが、
私は自分の集中力が途切れることを思い(カラダ弱いから~)、
正直、もう帰りたかったです。
一緒に来た中国人留学生の陳さん、伍さんは、
限られた時間で通天閣に行き、お土産を買い、
串カツやお好み焼きも食べなければならないので、会場で別れました。
しかし、もう一人、一緒に行った中国残留孤児一世の西井澄さんは、
近くのコンビニでパンを買い、また戻ってきてドンと自分の席に座り込みました。
・・・・・・。
仕方なくお付き合いした私は、たいへん幸運だったと後で分かりました。
午後の部の最後、若者のパネル・ディスカッションへのコメントの、これもぎりぎり最後に、
コーディネーターは高橋哲哉さんにたった2分しか時間を与えませんでした。
そのときの哲学者高橋さんの言葉、
「人間の関係は、呼びかけと応答です。
呼びかけに応答するのは、全人類の責任です。
さらに言えば、
被害を被った側がまだその影響を受け続けている限り、
声を上げて責任を問い続けている限り、
加害国の国民は、法的、政治的、道義的に責任があるのです。
私たちには応答する責任があるのです。
知らなければ、知ることから始めなければならないのです。」
これは胸に染みました。
日本人の中に、
「昔日本が戦争をしたからといって、私がしたわけではありません。
私はその時代に生まれてもいなかったので、
責任を取ったり、謝罪したりする必要はないと思います」
という人がたくさんいます。
私とて、戦後生まれですが、
この言葉には無責任なすり替えがあるといつも感じていました。
というのは、戦後生まれの私たちは、
歴史の恩恵だけは当然のように受け取っているのです。
一例を挙げれば、周恩来さんが1972年に、
「日本人民も軍国主義戦争の犠牲者です。
中国は日本に賠償金を請求する権利があるが、
それをすれば日本人民を苦しめることになるので、請求しません。」
と言ったことによる結果を今を生きる日本人は享受しています。
責任は取らないが、恩恵は受け取るというのは、
余りにも都合のいい考えではないでしょうか。
「人間関係は呼びかけと応答である」という言葉は、
たいへん重要な内容を含むものと認識しました。
高橋哲哉さんのお名前は以前から存じていましたが、
有名人嫌いな私は、出かけて行ってお話を聞く気にはなりませんでした。
それが私の悪い癖で、人生の時間をかなり無駄遣いしたと思います。