毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「忘れてはいけない高橋哲哉さんのことば」No.1434

2015-08-17 10:40:44 | 反戦平和

加害の歴史にしっかり向き合ってこそ 平和な未来を築くことができる

 戦後70年 東アジアの未来へ!宣言する市民』8/15集会(大阪:エルシアター)で、

午後、高橋哲哉さんの講演がありました。

 

午前中だけでもエイサーサムルノリの公演、高里鈴代さんの講演や、

中北弁護士による安倍談話批判スピーチe.t.c.と、

既に十分すぎるほどの内容だったのです。

午後の部もあると聞いてはいましたが、

私は自分の集中力が途切れることを思い(カラダ弱いから~)、

正直、もう帰りたかったです。

一緒に来た中国人留学生の陳さん、伍さんは、

限られた時間で通天閣に行き、お土産を買い、

串カツやお好み焼きも食べなければならないので、会場で別れました。

しかし、もう一人、一緒に行った中国残留孤児一世の西井澄さんは、

近くのコンビニでパンを買い、また戻ってきてドンと自分の席に座り込みました。

・・・・・・。

仕方なくお付き合いした私は、たいへん幸運だったと後で分かりました。

午後の部の最後、若者のパネル・ディスカッションへのコメントの、これもぎりぎり最後に、

コーディネーターは高橋哲哉さんにたった2分しか時間を与えませんでした。

そのときの哲学者高橋さんの言葉、

「人間の関係は、呼びかけと応答です。

呼びかけに応答するのは、全人類の責任です。

さらに言えば、

被害を被った側がまだその影響を受け続けている限り、

声を上げて責任を問い続けている限り、

加害国の国民は、法的、政治的、道義的に責任があるのです。

私たちには応答する責任があるのです。

知らなければ、知ることから始めなければならないのです。」

これは胸に染みました。

日本人の中に、

「昔日本が戦争をしたからといって、私がしたわけではありません。

私はその時代に生まれてもいなかったので、

責任を取ったり、謝罪したりする必要はないと思います」

という人がたくさんいます。

私とて、戦後生まれですが、

この言葉には無責任なすり替えがあるといつも感じていました。

というのは、戦後生まれの私たちは、

歴史の恩恵だけは当然のように受け取っているのです。

一例を挙げれば、周恩来さんが1972年に、

日本人民も軍国主義戦争の犠牲者です。

中国は日本に賠償金を請求する権利があるが、

それをすれば日本人民を苦しめることになるので、請求しません。」

と言ったことによる結果を今を生きる日本人は享受しています。

責任は取らないが、恩恵は受け取るというのは、

余りにも都合のいい考えではないでしょうか。

「人間関係は呼びかけと応答である」という言葉は、

たいへん重要な内容を含むものと認識しました。

 

高橋哲哉さんのお名前は以前から存じていましたが、

有名人嫌いな私は、出かけて行ってお話を聞く気にはなりませんでした。

それが私の悪い癖で、人生の時間をかなり無駄遣いしたと思います。

 

 

コメント (2)
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